まだまだ知られざるドイツの歴史探訪の旅。偉大な芸術がうみだされた現場や歴史の舞台となった場所を訪ね歩くことで、紙の上に留まらない活きた文化を醸成してゆく地道な旅の記録です
by fachwerkstrasse
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ベルリン中央駅© 2010-2011 M.UNO
2005年よりドイツ在住
NRW→Thüringen→Hessen
と放浪の旅を経て、現在は
ドイツ・ハイデルベルク大学
会議通訳修士課程 在籍中
日本独文学会幽霊会員
日本ヘルマン・ヘッセ友の会/
研究会幽霊会員
[翻訳]
ヘルマン・ヘッセ:インドから
(ヘルマン・ヘッセ全集第7巻)
臨川書店(京都)
当ブログに掲載の文章・写真の無断転載を禁じます。写真下に
[©DFS] と記されている場合、著作権は全てブログ著者に帰します。それ以外の写真や引用は、その都度出典や著作権元を明示しております。
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マネッセ写本 1
シュタウフェン朝の神聖ローマ皇帝ハインリヒ六世
赤髭バルバロッサことフリードリヒ一世の息子として
1191年にローマで戴冠。
今日残っている詩句は、まだ皇帝に即位する前、
1184年の聖霊降臨祭の時に開かれた
マインツ帝国議会の折に成立したものと考えられている。
[Codex Manesse, Kaiser Heinrich © Universitätsbibliothek Heidelberg]________
神聖ローマ皇帝コンラート四世の息子コンラディン
帝位は継承できなかったが、シュヴァーベン公、
エルサレム王、シチリア王でもあった。
アンジュー伯シャルル、後のシチリア王
カルロ1世に敗れ、ナポリで処刑される。
16歳の若さだったため「若きコンラート」
の名で知られている。
これによってホーエンシュタウフェン朝は
断絶し、第九うい時代を迎えることとなる。
_____[Codex Manesse, König Konrad der Junge © Universitätsbibliothek Heidelberg]
__________コンラディンの手になる二編の詩が残されている。_________
___[Codex Manesse, König Konrad der Junge © Universitätsbibliothek Heidelberg]__
ショッテンのティーロ王
とはいっても、これは実在の人物ではなく
写本に記された叙事詩の題名である。
作者は不明で、テューリンゲン出身だと
推測されているが、13世紀前半に成立
したと考えられている。ここの絵で描写
されているのは、父親のティーロ王から
息子フリーデブラントが、王としての家臣
に対する義務と、身分をわきまえた
騎士道精神に則った宮中での振る舞い
について教えを受けているところである。
[Codex Manesse, König Tyro von Schotten © Universitätsbibliothek Heidelberg]____
プシェミスル朝のボヘミア王ヴァーツラフ2世
ポーランド王としてはヴァツワフ2世。
1297年にプラハで即位した。
在位中、プラハの宮廷は
ドイツ文学の中心地となった。
___[Codex Manesse, König Wenzel von Böhmen © Universitätsbibliothek Heidelberg]
by fachwerkstrasse
| 2010-09-16 11:02
| マネッセ写本