まだまだ知られざるドイツの歴史探訪の旅。偉大な芸術がうみだされた現場や歴史の舞台となった場所を訪ね歩くことで、紙の上に留まらない活きた文化を醸成してゆく地道な旅の記録です


by fachwerkstrasse

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© 2010-2011 M.UNO

2005年よりドイツ在住
NRW→Thüringen→Hessen
と放浪の旅を経て、現在は
ドイツ・ハイデルベルク大学 
会議通訳修士課程 在籍中

日本独文学会幽霊会員
日本ヘルマン・ヘッセ友の会/
研究会幽霊会員


[翻訳] 

ヘルマン・ヘッセ:インドから
(ヘルマン・ヘッセ全集第7巻)
臨川書店(京都)

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ドイツ木組みの家街道 -帝国高等法院の街 ヴェッツラ-⑳ -

ドイツ木組みの家街道 -帝国高等法院の街 ヴェッツラ-⑳ -_b0206899_1941394.jpg
実は、鍛冶屋横町の1番地はかつて、ゲーテの母方の祖母の一番年下の妹、つまり大叔母にあたる枢密顧問官ランゲ女史(Susanne Maria Cornelia Lange、旧姓Lindheimer)の住まいだった。

こちらの記事でも触れた通り、フランクフルトから単身やってきた司法修習生ゲーテが、最高裁の法曹関係者たちの住まいが並ぶ穀物広場の一角に住むことができたのも、この大叔母の取りなしだった。

当然そこからさらに、最高裁に集う法律家たちとのコネを築くチャンスもあったはずなのだが、ゲーテ本人にはもはやどうでもよくなっていた。

逆にこの大叔母から紹介されたドイツ騎士団の官吏であるBuff家との仲は、どんどん深まってゆく。そしてそれが、後のあの名作への布石となるのだ。


______________[Wetzlar Schmiedgasse 1 2009 © DFS All Rights Reserved]


このように、ゲーテの住居があったコルンマルクトを一周して分かったことは、まず何と言っても、ゲーテが司法修習を行うに当たって、最高裁のあるこの街の一等地に住んでいたということ。家柄も財産やコネといった後ろ盾も教養も兼ね備え、言うことなしのはずだった。

しかし法曹界の実態に失望したゲーテは、仕事を放棄し、周りの社交界も無視、内面の声に従って自然を愛し、素朴な民衆の生活を愛し、そして人を愛した。恵まれた状況と本人の内面で起こった葛藤とその悲劇性のギャップが浮かび上がる。

ドイツ木組みの家街道 -帝国高等法院の街 ヴェッツラ-⑳ -_b0206899_19455818.jpg

________[Wetzlar Kornmarkt 2010 © DFS All Rights Reserved]_________

時代を問わず、常人にはおよそ理解しがたい、はたから見ればひどく滑稽に写るであろう、その極端な情熱と誠実さ。だがこの焼けつくような苦しみに耐えきれなかったゲーテは、文筆という手段で救いの道を見出し、書き手はそれによって現実を生き抜いたが、小説の主人公は自ら命を絶つこととなる。

このように、実際に書き手=小説の主人公がいた空間に思いを巡らせることで、逆にこの小説全体を貫く、平常の人間社会の営みに溶け込むことのできない主人公の異常性が浮かび上がるのである。
by fachwerkstrasse | 2011-01-19 19:38 | ゲーテの足跡を訪ねて