まだまだ知られざるドイツの歴史探訪の旅。偉大な芸術がうみだされた現場や歴史の舞台となった場所を訪ね歩くことで、紙の上に留まらない活きた文化を醸成してゆく地道な旅の記録です
by fachwerkstrasse
カテゴリ
全体ドイツ木組みの家街道
ゲーテの足跡を訪ねて
ツール・ド・ヨーロッパ
次世代の演奏家たち
ネッカー紀行
演奏芸術 雑感
音楽雑感
J.S.バッハ 雑感
教会暦 カンタータ
音楽遍歴
マネッセ写本
クリスマス
ドイツの産業文化
マネッセ写本 特別展
文学地理学
京町屋
なぜ木組み街道?
雑感
古城街道紀行
フォロー中のブログ
ベルリン中央駅© 2010-2011 M.UNO
2005年よりドイツ在住
NRW→Thüringen→Hessen
と放浪の旅を経て、現在は
ドイツ・ハイデルベルク大学
会議通訳修士課程 在籍中
日本独文学会幽霊会員
日本ヘルマン・ヘッセ友の会/
研究会幽霊会員
[翻訳]
ヘルマン・ヘッセ:インドから
(ヘルマン・ヘッセ全集第7巻)
臨川書店(京都)
当ブログに掲載の文章・写真の無断転載を禁じます。写真下に
[©DFS] と記されている場合、著作権は全てブログ著者に帰します。それ以外の写真や引用は、その都度出典や著作権元を明示しております。
NRW→Thüringen→Hessen
と放浪の旅を経て、現在は
ドイツ・ハイデルベルク大学
会議通訳修士課程 在籍中
日本独文学会幽霊会員
日本ヘルマン・ヘッセ友の会/
研究会幽霊会員
[翻訳]
ヘルマン・ヘッセ:インドから
(ヘルマン・ヘッセ全集第7巻)
臨川書店(京都)
当ブログに掲載の文章・写真の無断転載を禁じます。写真下に
[©DFS] と記されている場合、著作権は全てブログ著者に帰します。それ以外の写真や引用は、その都度出典や著作権元を明示しております。
最新のトラックバック
ライフログ
検索
タグ
その他のジャンル
以前の記事
2011年 06月2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
ブログパーツ
最新の記事
2つの川が出会うかつての帝国.. |
at 2011-06-03 22:50 |
2つの川が出会うかつての帝国.. |
at 2011-06-02 01:37 |
2つの川が出会うかつての帝国.. |
at 2011-06-01 18:49 |
2つの川が出会うかつての帝国.. |
at 2011-05-30 21:36 |
ネッカー紀行 |
at 2011-05-25 22:14 |
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
新年のカンタータ ① BWV 143
カンタータ詩句や作曲様式から察するに、若いころの作品だと推察されるが、現在伝わっている自筆譜が18世紀半ばのものであることから、正確に作曲年代を特定するには至っていない。
詩句の成立は1700年より以前と推測される。詩篇146節の神に対する永遠の中世を讃えるくだりが軸となっている。これは分割されて、まず最初にテノールのレチタティーヴォ、次にバスのレチタティーヴォで歌われる。加えて詩句の源となっているのが、1601年ヤーコブ・エーベルト作の「汝平和の君主たる主イエスキリストよ」で、1682年にゴットフリート・ヴォペーリウスが出版した『新ライプツィヒ讃美歌集 Neu Leipziger Gesangbuch』に収録されている「戦いの時に置いて我らが主キリストに慈悲と救いを乞う美しき歌」である。
________Leipziger Gesangbuch von Vopelius, 1682(c) Bachhaus Eisenach________
最初の詩句では生と死において救いの手を差し伸べるキリストを讃える内容になっているが、終曲の合唱曲ではこの先の加護と救いを乞う内容になっている。テノールのアリアでは、かなり具体的で真に迫った描写がある。17世後半、ヨーロッパはオスマン帝国の侵攻にさらされたが、ここで歌われているのが具体的にこの時代のことを指しているのかはわからない。
実は18世紀半ばにこの詩句は改訂を経ており、また19世紀のバッハ研究においては、例えばクリスマスオラトリオの第4曲が同じく新年のためのものであったことも知られていなかったなど、様々な事情が重なり、このカンタータの解釈に関しても様々な誤解が生じていた。現時点でわかっている情報や資料を突き合わせても、まだ断片的にしかこの曲の成立事情は浮かび上がってこない。
また楽曲も、当時の様式の域を出ない旋律、単調なリズムや和声の展開がみられ、リズム感の本来重視するはずの古楽器による解釈を聴いても、どうももたれた感じになってしまう。確かにこれを(たとえ若書きだったとしても)バッハの作品と呼ぶのには、違和感を感じてしまう。カンタータ全体を見渡しても、まとまりにかけている印象。その分かえって、テノールのアリア「幾千もの不幸と恐怖」だけが際立ってしまう。ただし、これは後から挿入された可能性もぬぐい去れない。以上のことから、資料面からも音楽面からも、偽作の疑いが濃い作品なのである。
偽作と言えば、バッハの代表作とも言える「あの」オルガン曲にも、依然偽作の疑いがかかっているが、あれは確かに後年のバッハの音楽を知る耳には雑な印象を受けるが、それを補って余りあるものがあると思うので(確かに技巧に走ってて、表面的な演奏効果を狙っているきらいがあるが、それも北ドイツでの体験の興奮冷めやらぬ若気の至りではないか、という音楽家諸氏のフォローも、どこか納得がいくし、微笑ましい) それと比べると、こっちのカンタータは、あまりにもこなれていなくて、自分としてはやはり偽作説に傾いてしまう。。。
そんなわけで、いまいち気分が盛り上がらないが、一応音声資料をあげておこう。
ただし、これもレオンハルトとなっているが、コメント欄に「アーノンクールじゃない?」
というツッコミが入っている。音源まで偽作の疑い濃厚だ・・・
詩句の成立は1700年より以前と推測される。詩篇146節の神に対する永遠の中世を讃えるくだりが軸となっている。これは分割されて、まず最初にテノールのレチタティーヴォ、次にバスのレチタティーヴォで歌われる。加えて詩句の源となっているのが、1601年ヤーコブ・エーベルト作の「汝平和の君主たる主イエスキリストよ」で、1682年にゴットフリート・ヴォペーリウスが出版した『新ライプツィヒ讃美歌集 Neu Leipziger Gesangbuch』に収録されている「戦いの時に置いて我らが主キリストに慈悲と救いを乞う美しき歌」である。
________Leipziger Gesangbuch von Vopelius, 1682(c) Bachhaus Eisenach________
最初の詩句では生と死において救いの手を差し伸べるキリストを讃える内容になっているが、終曲の合唱曲ではこの先の加護と救いを乞う内容になっている。テノールのアリアでは、かなり具体的で真に迫った描写がある。17世後半、ヨーロッパはオスマン帝国の侵攻にさらされたが、ここで歌われているのが具体的にこの時代のことを指しているのかはわからない。
実は18世紀半ばにこの詩句は改訂を経ており、また19世紀のバッハ研究においては、例えばクリスマスオラトリオの第4曲が同じく新年のためのものであったことも知られていなかったなど、様々な事情が重なり、このカンタータの解釈に関しても様々な誤解が生じていた。現時点でわかっている情報や資料を突き合わせても、まだ断片的にしかこの曲の成立事情は浮かび上がってこない。
また楽曲も、当時の様式の域を出ない旋律、単調なリズムや和声の展開がみられ、リズム感の本来重視するはずの古楽器による解釈を聴いても、どうももたれた感じになってしまう。確かにこれを(たとえ若書きだったとしても)バッハの作品と呼ぶのには、違和感を感じてしまう。カンタータ全体を見渡しても、まとまりにかけている印象。その分かえって、テノールのアリア「幾千もの不幸と恐怖」だけが際立ってしまう。ただし、これは後から挿入された可能性もぬぐい去れない。以上のことから、資料面からも音楽面からも、偽作の疑いが濃い作品なのである。
偽作と言えば、バッハの代表作とも言える「あの」オルガン曲にも、依然偽作の疑いがかかっているが、あれは確かに後年のバッハの音楽を知る耳には雑な印象を受けるが、それを補って余りあるものがあると思うので(確かに技巧に走ってて、表面的な演奏効果を狙っているきらいがあるが、それも北ドイツでの体験の興奮冷めやらぬ若気の至りではないか、という音楽家諸氏のフォローも、どこか納得がいくし、微笑ましい) それと比べると、こっちのカンタータは、あまりにもこなれていなくて、自分としてはやはり偽作説に傾いてしまう。。。
そんなわけで、いまいち気分が盛り上がらないが、一応音声資料をあげておこう。
ただし、これもレオンハルトとなっているが、コメント欄に「アーノンクールじゃない?」
というツッコミが入っている。音源まで偽作の疑い濃厚だ・・・
by fachwerkstrasse
| 2011-01-04 00:01
| 教会暦 カンタータ