まだまだ知られざるドイツの歴史探訪の旅。偉大な芸術がうみだされた現場や歴史の舞台となった場所を訪ね歩くことで、紙の上に留まらない活きた文化を醸成してゆく地道な旅の記録です
by fachwerkstrasse
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ベルリン中央駅© 2010-2011 M.UNO
2005年よりドイツ在住
NRW→Thüringen→Hessen
と放浪の旅を経て、現在は
ドイツ・ハイデルベルク大学
会議通訳修士課程 在籍中
日本独文学会幽霊会員
日本ヘルマン・ヘッセ友の会/
研究会幽霊会員
[翻訳]
ヘルマン・ヘッセ:インドから
(ヘルマン・ヘッセ全集第7巻)
臨川書店(京都)
当ブログに掲載の文章・写真の無断転載を禁じます。写真下に
[©DFS] と記されている場合、著作権は全てブログ著者に帰します。それ以外の写真や引用は、その都度出典や著作権元を明示しております。
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ツール・ド・ヨーロッパ ⑤
話がそれるが、丸山正男が指摘している通り、戦中のフルトベングラー=ベルリンフィルの演奏は、所謂クラシック音楽の演奏史における最高峰であり、これからさらにどれだけ録音技術や演奏技術、斬新な解釈や例えば古楽器による解釈が進化しようと、あれを超える演奏は二度と生まれないだろう。
ところで、今年に入ってまたもやフルトヴェングラーの「新譜」がリリースされている。しかしCD不況、ましてクラシック衰退の世の中で、相変わらず異常な人気を誇っているようだ。しかも録音のリリースが新聞で大々的に取り上げられるなどというのの、珍しい。
フルトベングラー、迫力そのまま SP盤が高音質CDに(朝日新聞 2月9日付)
________[Heidelberg Alte Brücke 2011 © DFS All Rights Reserved]_______
個人的な今の時点での感想を言うなら、無尽蔵に奥深いとでもいおうか。様々な指揮者、録音、生の演奏を経た後で、フルトヴェングラーに立ち戻ると、同じ録音でありながら、それはいつも異なった顔を見せてくれる。それは、その曲のそれまで聴き手が見落としていた点だけでなく、フルトヴェングラーの演奏に隠された様々な秘密でもある。
ピアニストのアファナシエフも「演奏会にはわざわざ行かない。録音でフルトヴェングラーの素晴らしい演奏を聴いている方が、よっぽどいいから」というようなことを言っていたが、分かる気がする。僕自身、最近では、演奏会場で生の演奏に立ち会うのは、管弦楽が実際にどのように響いてくるのかを追認するのが目的で、それはむしろフルトヴェングラーの録音の乏しい音質を目いっぱい味わうために必要な「想像力」を補うため、という気がしてきている。
だから、丸山が「人類の音楽は、フルトヴェングラー戦時中の演奏をもって、その頂点とするんじゃないだろうか」と言うのは、おそらく多くの人が納得されることだろう。実際、戦時中の録音には戦後の録音にはない、尽きせぬ魅力がある。
その一つは、音質である。戦時中のお抱え録音技師だったシュナップ博士は、戦後の録音よりも克明に細かい音質まで捉えている。また、旧フィルハーモニーは残響豊かなホールであったらしく、それによるホールとの相乗作用で、オーケストラの音色にも良い影響を与えていたと思われる(ウィーンフィルの音色が、楽友協会ホールで培われたものであるのと同様)
しかし、何よりもこの戦時中録音を特別なものならしめているのは、他ならぬこの演奏者たちが置かれた状況、時代である。独裁体制、日に日に悪化する戦況、激化する空襲、破壊される都市、そして自分達が明日生きていられるのかも分からない毎日。
「『明日がない』、『これが最後のコンサートかもしれない』と覚悟したとき、人間はこんな音楽をやるんだねぇ」
(中野雄(1999)「丸山真男 音楽の対話」文春新書 1版 pp. 232-234)
もちろん、社会全体が崩壊に向かっている悲劇的な極限状態と、今の時代を生きる若者たちとでは、そもそも比較にもならないのかもしれないが「これが最後」という思い、そしてそれが通常ではありえない豊かな音楽を結果として生み出す、これは一つの真理としてあるのかもしれない。
そうしたわけで、彼のこの話を聞いた時に、フウルトベングラーの戦中録音のことが、頭をよぎったのだった。
ところで、今年に入ってまたもやフルトヴェングラーの「新譜」がリリースされている。しかしCD不況、ましてクラシック衰退の世の中で、相変わらず異常な人気を誇っているようだ。しかも録音のリリースが新聞で大々的に取り上げられるなどというのの、珍しい。
フルトベングラー、迫力そのまま SP盤が高音質CDに(朝日新聞 2月9日付)
________[Heidelberg Alte Brücke 2011 © DFS All Rights Reserved]_______
個人的な今の時点での感想を言うなら、無尽蔵に奥深いとでもいおうか。様々な指揮者、録音、生の演奏を経た後で、フルトヴェングラーに立ち戻ると、同じ録音でありながら、それはいつも異なった顔を見せてくれる。それは、その曲のそれまで聴き手が見落としていた点だけでなく、フルトヴェングラーの演奏に隠された様々な秘密でもある。
ピアニストのアファナシエフも「演奏会にはわざわざ行かない。録音でフルトヴェングラーの素晴らしい演奏を聴いている方が、よっぽどいいから」というようなことを言っていたが、分かる気がする。僕自身、最近では、演奏会場で生の演奏に立ち会うのは、管弦楽が実際にどのように響いてくるのかを追認するのが目的で、それはむしろフルトヴェングラーの録音の乏しい音質を目いっぱい味わうために必要な「想像力」を補うため、という気がしてきている。
だから、丸山が「人類の音楽は、フルトヴェングラー戦時中の演奏をもって、その頂点とするんじゃないだろうか」と言うのは、おそらく多くの人が納得されることだろう。実際、戦時中の録音には戦後の録音にはない、尽きせぬ魅力がある。
その一つは、音質である。戦時中のお抱え録音技師だったシュナップ博士は、戦後の録音よりも克明に細かい音質まで捉えている。また、旧フィルハーモニーは残響豊かなホールであったらしく、それによるホールとの相乗作用で、オーケストラの音色にも良い影響を与えていたと思われる(ウィーンフィルの音色が、楽友協会ホールで培われたものであるのと同様)
しかし、何よりもこの戦時中録音を特別なものならしめているのは、他ならぬこの演奏者たちが置かれた状況、時代である。独裁体制、日に日に悪化する戦況、激化する空襲、破壊される都市、そして自分達が明日生きていられるのかも分からない毎日。
「『明日がない』、『これが最後のコンサートかもしれない』と覚悟したとき、人間はこんな音楽をやるんだねぇ」
(中野雄(1999)「丸山真男 音楽の対話」文春新書 1版 pp. 232-234)
もちろん、社会全体が崩壊に向かっている悲劇的な極限状態と、今の時代を生きる若者たちとでは、そもそも比較にもならないのかもしれないが「これが最後」という思い、そしてそれが通常ではありえない豊かな音楽を結果として生み出す、これは一つの真理としてあるのかもしれない。
そうしたわけで、彼のこの話を聞いた時に、フウルトベングラーの戦中録音のことが、頭をよぎったのだった。
by fachwerkstrasse
| 2011-02-11 23:43
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