まだまだ知られざるドイツの歴史探訪の旅。偉大な芸術がうみだされた現場や歴史の舞台となった場所を訪ね歩くことで、紙の上に留まらない活きた文化を醸成してゆく地道な旅の記録です


by fachwerkstrasse

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© 2010-2011 M.UNO

2005年よりドイツ在住
NRW→Thüringen→Hessen
と放浪の旅を経て、現在は
ドイツ・ハイデルベルク大学 
会議通訳修士課程 在籍中

日本独文学会幽霊会員
日本ヘルマン・ヘッセ友の会/
研究会幽霊会員


[翻訳] 

ヘルマン・ヘッセ:インドから
(ヘルマン・ヘッセ全集第7巻)
臨川書店(京都)

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袖すりあうも・・・

半年ほど前のこと、メンザで食事をしていたら、斜め向かいに
晩年のロナルド・レーガンにちょっと似た風貌のご老人が座った。

ハイデルベルク大学の学生食堂。手前のU字型の建物がそうで、かつては王室の厩舎だった建物だ。
袖すりあうも・・・_b0206899_20652.jpg

______[Heidelberg Mensa Marstall 2009 © DFS All Rights Reserved]_______

袖すりあうも・・・_b0206899_2064538.jpg
ちなみに、奥の灰色の建物には考古学部が入っている。
昔はもっときれいな建物が建っていたようだが、古い街並みを
誇るこの街でも、ところどころ、こういう無粋な鉄筋コンクリートに
置き換わってしまっているのが悔しい。


_____________[Heidelberg-Panorama, Matthäus Merian, 1620 (Ausschnitt)]

Guten Appetit (日本語のいただきます、と違って、食事をする際に互いに「おいしく召し上がれ」とかける言葉) からはじまり「学生さん?」とか、いろいろ話しかけてきた。日独英の通訳を勉強しているというと「むかし日本にいったことがあるよ、ただし1週間だけだけど」といって、身の上話をたくさんしてくれた。

隣町 Ludwigshafen にある化学企業BASFの営業を長く勤めて、その時は三菱と取引をしたらしい。梱包に使う技術みたいなことを話していたが、これはよくわからなかった。ただでさえ専門的な内容な上に、今はもう長らく使われてない技術らしい。四日市と東京にいって、東京では築地の魚市場をみたり、芸者パーティやフィリピン人パブに連れてってもらったり(笑)古き良き時代の日本式ビジネスを堪能した様子。

日本語で「はい」というのは、あれは Ja のことかね?印象的だったのは、日本人のビジネスマンは、みんな上司の言うことに、直立不動でひたすら「はい」「はい」だよ。日本人は常に集団で行動しないといけないみたいだね。ドイツ人は違う。営業や出張にしたって、たいてい一人だ、時には2人で行く時もあるけど、めったにないね。僕自身、個人主義者さ。自分で考えて決めて行動したいもんだね。「そう、日本人はぜんぶ肯定しないといけない、そうでないと生きていけないんですよ」 僕はそう答えた。

あとは、オーストラリアやオランダとか、いろんなところにいった。日本よりも、もっと長くいたよ。オランダでは言葉も勉強した。確かにドイツ語と似てるけど、でも実際に使うとなると、ほとんどぜんぶ新たに学ばなければいけないから、なかなか大変だったけどね。

_________________秋、紅葉のハイリゲンベルク_______________
袖すりあうも・・・_b0206899_20131294.jpg

_______[Heidelberg Neckaerstaden 2010 © DFS All Rights Reserved]______

そうして、家族の話など、食事が終わっても30分ほどいろいろ話をしていた。ひとしきり話したあと、その個人主義者の老人は、まずオランダ語の別れのあいさつを教えてくれた後、突然食器を片づけ始め、立ちあがり、リュックを背負いながら、「日本語で Auf Wiedersehen は何だっけ?」と言って、僕が答える前にニヤッと笑って「サヨナラ」と言い、風のように去って行った。
by fachwerkstrasse | 2010-11-16 20:21 | 雑感