まだまだ知られざるドイツの歴史探訪の旅。偉大な芸術がうみだされた現場や歴史の舞台となった場所を訪ね歩くことで、紙の上に留まらない活きた文化を醸成してゆく地道な旅の記録です
by fachwerkstrasse
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ベルリン中央駅© 2010-2011 M.UNO
2005年よりドイツ在住
NRW→Thüringen→Hessen
と放浪の旅を経て、現在は
ドイツ・ハイデルベルク大学
会議通訳修士課程 在籍中
日本独文学会幽霊会員
日本ヘルマン・ヘッセ友の会/
研究会幽霊会員
[翻訳]
ヘルマン・ヘッセ:インドから
(ヘルマン・ヘッセ全集第7巻)
臨川書店(京都)
当ブログに掲載の文章・写真の無断転載を禁じます。写真下に
[©DFS] と記されている場合、著作権は全てブログ著者に帰します。それ以外の写真や引用は、その都度出典や著作権元を明示しております。
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ドイツ木組みの家街道 -帝国高等法院の街 ヴェッツラ-⑨ -

こちらが、この町で現存する最古の木組み建築。
ドーム広場から帝国最高裁の前を通り、さらに東へアイゼンマルクトの方につながるブロートシルムという小道にある。
建築年代は1356年。
典型的な中世の木組み建築様式である。
この建物については、後日詳しく述べることにする。
[Wetzlar Brodschirm 6 2010 © DFS All Rights Reserved]______________
しかしこの町は17世紀後半に大火事に見舞われていて、その時にかなりの建物が焼失している。
その後に建てられた建物は石造りやバロっク様式の建物ということになる。
その意味でも、16世紀以前のこうした現存する木造家屋は貴重なものなのだ。
したがって、例のペテン師の時代に、すでにこのコルンマルクトにはだいたい今と同じように周囲を建物に囲まれ、文字通り穀物のやりとりが行われ、人々が行き来していたとは思うのだが、写真も絵もないため、そこは乏しい想像力に委ねる他ない。
すでにご紹介した通り、かなりの建物が火事による消失や増改築を経ていて、ゲーテのいた頃をはさんでなお、街並みはそれなりに変化しているはずだ。
そうしたことを踏まえ、これから数回に渡って、もう少しこの「穀物市場」の建物をみてみよう。

_________[Wetzlar Kornmarkt 2007 © DFS All Rights Reserved]_______
by fachwerkstrasse
| 2010-10-27 16:12
| ドイツ木組みの家街道