まだまだ知られざるドイツの歴史探訪の旅。偉大な芸術がうみだされた現場や歴史の舞台となった場所を訪ね歩くことで、紙の上に留まらない活きた文化を醸成してゆく地道な旅の記録です


by fachwerkstrasse

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© 2010-2011 M.UNO

2005年よりドイツ在住
NRW→Thüringen→Hessen
と放浪の旅を経て、現在は
ドイツ・ハイデルベルク大学 
会議通訳修士課程 在籍中

日本独文学会幽霊会員
日本ヘルマン・ヘッセ友の会/
研究会幽霊会員


[翻訳] 

ヘルマン・ヘッセ:インドから
(ヘルマン・ヘッセ全集第7巻)
臨川書店(京都)

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なぜ「木組み街道?」 (2) - 歴史と伝統をめぐって -

しかし歴史的な街並みを保存する上で最も致命的なのは、やはり戦争による人的被害だ。例えばかつては神聖ローマ皇帝戴冠式が執り行われたフランクフルト中心部は、1944年まではドイツの中でもこうした中世以来の街並みが最もよく残っていた街だったが、連合軍の爆撃で灰燼に帰してしまう。

その後のモダニズムによる現代的メトロポールを建設する復興プランの中で、かつての街並みが再現される可能性は完全に閉ざされてしまう。他にもシュトゥットガルトカッセルなどは、街の区画を始め、わずかに残った歴史的建造物に至るまで全て撤去して、むしろこれ幸いとばかりに、まったく新しい町づくりを行った。

また、旧東ドイツでも社会主義的街づくりのもと、同様に破壊されていった建物が数多くある。いずれも20世紀の文明の力を悪用した、政治的暴挙である。

しかし一方で、ナチスの拠点であったミュンヘンニュルンベルクなどのように、壊滅的破壊された南部の街は、現在まで綿々と受け継がれている保守的な気風から、できるだけ破壊前街並みを取り戻すべく、最大限の努力がなされた。

戦前は百塔の都エルベ川のフィレンツェと謳われたドレスデンだが、英国空軍による爆撃古都壊滅。戦後は東ドイツによる街づくりが進められた上に、資金不足で満足な復旧もできないままでいた。聖母教会をはじめ、再建のほとんどは、東西ドイツ統一後に進められたものである。

しかしいずれの都市でも、やはり失われたものの大きさを感じずにはいられない。21世紀に入ってようやく再興なったドレスデンにいたっては、戦後45年の空白を経てようやく、かつての姿を忠実に再現しようと試みたわけだが、戦後60年を経て、今ようやくできあがった「古い街並み」をいざ目の前にして、長年のドイツ人の悲願であったにも関わらず、歴史の重みを重視する立場からみれば、これはほとんど茶番である。(あれをみて「ハウステンボスみたいだ」と揶揄していた方もいたほどだ)

なぜ「木組み街道?」 (2) - 歴史と伝統をめぐって -_b0206899_16561131.jpg


[Der Dresdner Neumarkt 2008 © DFS All Rights Reserved]


戦後のドイツは、否応なしにドイツの「伝統」と批判的に対峙することを余儀なくされ、一時は古いものを徹底的に排除する思潮が主流だった。そのためかつては「時代遅れ」または「古いドイツを体現する善からぬ代物」という風潮さえあったが、80年代あたりから、こうした古い街並みに対する意識が再び芽生え始める。そうした流れを受けて、現在は鉄筋コンクリートの忌まわしい建物群が立ち並ぶフランクフルト旧市街を再建するプロジェクトが最近始まったのだが、私はこれについても懐疑的だ。

すでに市庁舎のあるレーマー広場には、こうした思潮が湧きおこった直後に、木組みの家が再建されているが、これも歴史の流れから寸断された「ニセモノ」に他ならない。そんな「旧市街」を今更再現したところで、一体どんな意味があるというのであろう。せいぜいのところ、新たな名所「旧跡」として観光資源にするのが関の山だ。しかし、爆撃で「歴史的建造物」が吹っ飛んだ事実も「歴史」の一部であるはず、それに蓋をして何事もなかったかのように、ニセモノで「歴史」を書き換えることは、詩を書くことよりもなお野蛮である。

なぜ「木組み街道?」 (2) - 歴史と伝統をめぐって -_b0206899_16574112.jpg


[Römerberg, Frankfurt/Main 2009 © DFS All Rights Reserved]
by fachwerkstrasse | 2010-09-13 17:01 | なぜ木組み街道?