まだまだ知られざるドイツの歴史探訪の旅。偉大な芸術がうみだされた現場や歴史の舞台となった場所を訪ね歩くことで、紙の上に留まらない活きた文化を醸成してゆく地道な旅の記録です


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© 2010-2011 M.UNO

2005年よりドイツ在住
NRW→Thüringen→Hessen
と放浪の旅を経て、現在は
ドイツ・ハイデルベルク大学 
会議通訳修士課程 在籍中

日本独文学会幽霊会員
日本ヘルマン・ヘッセ友の会/
研究会幽霊会員


[翻訳] 

ヘルマン・ヘッセ:インドから
(ヘルマン・ヘッセ全集第7巻)
臨川書店(京都)

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ツール・ド・ヨーロッパ ③

中村洋太くんのヨーロッパでの「足」となるのは、フレームがとても軽い、かなりの高級車なのだが、
長旅の後も段ボールの中で無事だった様子。自転車の開封記念に一枚!


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フレームと車輪の他にも、小さな箱に小分けして詰め
られた大小様々な部品や道具が、次々と出てくる。

ひとつひとつの無事を確かめる度に
「あぁ、よかった~!」と安堵ののため息がもれる。

それももっともだ、自転車を飛行機で運ぶ人なんて
そうはいないから「ドイツの税関はほとんどフリーパス」
とか「トランクがしょっちゅう壊される」などといった噂を
頼りにできないし、キャンプの用意に際しての注意事項
マニュアルみたいなものも存在しないのだから。

段ボールは自転車専用の箱を(そんなものがあったとは・・・)うまく調達してきたらしいが。




[Yota Nakamura, 2. Aug. 2010 © DFS All Rights Reserved]______________


そんな彼を横目に、僕は彼が持参したDVDで、ワセオケの名演に酔いしれる。

彼とも話したことだが、よく日本人の演奏家の欠点としていわれる
「技術は優れているが、個性がない」

こっちにきて、いろんな演奏家や団体を聴いてきた中で、良くも悪くもこれはあたっていると思う。
ただし、まったく逆の意味でだが。
つまりこちらでは素人・玄人問わず、技術的な習熟度に天と地ほどの差があるのだ。

ドイツには、日本よりもたくさんのオーケストラが各地にあるが、実際はかなりピンキリで、
日本でも有名な一部のトップクラスを除けば、実はそんなに大したことがなかったりする。
技術面では、日本の地方オーケストラの方が、はるかに上だと思っていいだろう。

僕のこれまでの印象では、大きく3つに分けられると思う。

一つは「誰が指揮台に上っても名演になってしまうオケ」

こういうオケの場合、指揮者のどんな要求にも柔軟にこたえる技術を兼ね備えているため
逆に指揮者が確固たる音楽を持っていないと、すべて筒抜けになってしまう。
はっきり言って、古典派などの定番のレパートリーなら指揮者なしでも名演を繰り広げることができてしまう。
だから、指揮者がきちんと料理をして「超名演」にしなくてはならないのだ。
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_________[Berlin Philharmonie 2010 © DFS All Rights Reserved]________

2つ目は「当たり外れが大きいオケ」

これは、指揮者のもう一つの能力、すなわちオーケストラを教育する能力による。
時々、人心掌握術や音楽の解釈に加えて、オーケストラの持てる能力を150%ひき出してしまう
能力を兼ね備えた指揮者がいる。こういう人に当たると、信じられないほどの音色を奏でるのだが
逆にそうでない時には、ごく凡庸な演奏になってしまう。
(同じオケなのに、指揮者によって「音」そのものが変わってしまうというのは、人生最大の謎)

3つ目は…あえて言いますまい(笑)

こういうところに、上の2つで挙げたような指揮者がくることはほとんどないので、
その意味での比較はできないが「未来のマエストロ」的な若手が音楽監督だったりする。
音楽と言うのは不思議なもので、鳴っている音はめちゃくちゃでも、指揮者ががんばっていれば
ちゃんとその音楽は伝わってくるものだ。
by fachwerkstrasse | 2010-12-13 22:33 | ツール・ド・ヨーロッパ

待降節 第3主日 & ハイデルベルクのクリスマス市

ここ2週間ほどは体力的にも精神的にもかなりきつくて、今学期最大の山場だったように思う。
なんとか、今週中にカンタータ3つをやっつけてしまわないと…

さて、ドイツ有数の観光地ハイデルベルクでも、クリスマス市がにぎわいを見せている。
目抜き通りを軸にして、東西に細長くのびた町の形に沿って、6か所もの市が立っている。

まずは、市電・バスのターミナルになっているビスマルク広場から。デパートのイルミネーションも目を引く。
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______[Heidelberg Bismarckplatz 2010 © DFS All Rights Reserved]______

次に、かつて自然科学系の学部があったAnatomiegarten(解剖学科庭園)
隣接するキャンパスの中にまで、クレープの甘いにおいが漂ってくるのが憎い・・・
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______[Heidelberg Anatomiegarten 2010 © DFS All Rights Reserved]______

こちらは、Universitätsplatz(大学広場) メリーゴーランドも出て、かなりの活況を呈している。
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______[Heidelberg Universitätsplatz 2010 © DFS All Rights Reserved]_____

次に、マルクト(市場)広場。こちらには巨大なクリスマスピラミッドが鎮座ましましている。
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_______[Heidelberg Marktplatz 2010 © DFS All Rights Reserved]_______

次にコルンマルクト(穀物市場)こちらはこじんまりとしていて、舶来品などが売られている。
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_______[Heidelberg Kornmarkt 2010 © DFS All Rights Reserved]________

次にお城の眼下に広がるカール広場(Karlsplatz)
ここは広場の大きさを生かして、大きなグリューヴァインスタンドに加えて、スケートリンクもでる。
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_______[Heidelberg Karlsplatz 2010 © DFS All Rights Reserved]_______

イルミネーションに彩られて、アドヴェントの時期は街全体が明るくなる。暗く長い冬のうるおいだ。
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_______[Heidelberg Karlsplatz 2010 © DFS All Rights Reserved]_______

今年からは、第二アドヴェント限定で、お城でもクリスマス市がたった。その様子はまた改めて。
by fachwerkstrasse | 2010-12-12 23:13 | クリスマス

ドイツ木組みの家街道 -帝国高等法院の街 ヴェッツラ-⑲ -

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ところで、前回の写真は2007年にとったもの。


それから一年半後に行った時には、
こんな姿になっていた。





今年再度訪ねた折には、またカバーが掛かっていたが、そこから透けて見える限りでは、かなり修復が進んでいるようで、元のきれいな木組みの表面が顔をのぞかせていた。以前は塗装がはげ落ち、煤けて黒ずんでいたが、今回の修復で色鮮やかに塗りなおされたようだ。



______________[Wetzlar Schmiedgasse 1 2009 © DFS All Rights Reserved]

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_______[Wetzlar Schmiedgasse 1 2010 © DFS All Rights Reserved]_______


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おまけに上の部屋が売りに出されていた。

一人暮らしや新婚カップル向けに、
素敵な歴史建築はいかが?てな具合だ。

ゲーテの叔母も、ちゃっかり宣伝材料に。

こういう街を歩いていると、意外と多くの
古い家が売りに出されている。

しかしこういう家並みは外から眺めるに限る。
自分では、絶対に住もうとは思わない。

保護文化財に指定されている不動産は
管理が大変で、ちょっとした電気や電話の
配線や改築ひとつとっても、いちいち役所に
お伺いを立てないといけないらしい。

自分の様なズボラな人間には
絶対に向かないだろう。

それこそ燃やしてしまいそうだ。。。

______________[Wetzlar Schmiedgasse 1 2007 © DFS All Rights Reserved]
by fachwerkstrasse | 2010-12-09 22:45 | ドイツ木組みの家街道

待降節 第2主日 & エアフルトのクリスマス市

アドヴェントの語源はギリシア語に遡り、元来はお役人や皇帝・国王の訪問を意味するものであったらしい。
加えて神殿に神が降臨することも指していたのを、キリスト教が受け継いだというわけだ。
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_________[Erfurt Fischmarkt 2007 © DFS All Rights Reserved]_________

このアドヴェント期間は、もともとは四旬節、つまり復活祭前の期間であった。原始キリスト教においては
11月11日から1月6日の公現祭までの期間とされており、週末を除いて40日間と定められていた。
11世紀より、四旬節と待降節が合わさった Adventsfasten として受け継がれてきたが、フランシスコ修道会を除いて一般にはなじみの薄いものとなった。1917年に カトリック教会はこの習慣を完全に撤廃した。

キリスト教の枠内でも、このように暦の位置づけは変化してきている。神学的に厳格に考えるのではなく
(だいたい、12月25日に出生届が出されたなんて、どこにも書いていない!)むしろ人々が季節を
どのように捉え、習慣として確立してきたのか、そして厳しい冬の寒さをどのように乗り越えようと
してきたのか、そのような視点から考えるべきだろう。


ところで、今では日本でもパックツアーになっているほどメジャーなイベントになったクリスマス市だが、頻繁に紹介されている大都市でのクリスマス市は、大挙して押し寄せる観光客と、見渡す限りの鉄筋コンクリートという景観のために、雰囲気がぶち壊しになってしまっている。正直言って、あまりゆっくりと落ち着ける雰囲気ではない。

そんな中、ニュルンベルクにも匹敵する大きさと、ローカルな温かみを併せ持った穴場的存在が、エアフルトのクリスマス市だ。古い街並みが残っている街並みに、イルミネーションが映え、街の大きさにはおよそ不釣り合いな大聖堂広場には、巨大な観覧車まで出る。
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__________[Erfurt Domplatz 2007 © DFS All Rights Reserved]_________

ちなみに、この街の広場が大きい理由は、ナポレオンの侵略による。

もともとは現在の半分だけが大聖堂広場で、残り半分は住宅地であった。

しかし広場の後方に聳える要塞との激しい砲撃戦のために、広場横の住宅地は全壊。
そのため、そのままそこもつなげて全体を広場にしてしまったのである。

広場の左右で敷石の色が異なっている。左側の色の薄い部分はかつて住宅地だった所である。
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__________[Erfurt Domplatz 2007 © DFS All Rights Reserved]_________

かつては東ドイツに属していたこの街も、東西ドイツ統一後は街並みの修復が進み、古い街並みと
歴史的遺産を元手に、観光にも力を入れている。クリスマス市にも、特に西側からの観光客が年々
増加しているのが感じられるが、おそらくここが世界的な観光・旅行産業のターゲットになることは
当分はないだろう。どうかこのまま、心の故郷たるにふさわしい形のまま、残っていてほしいものである。
だったら、こうやって大っぴらに書かない方がよいのではないか、というジレンマがつきまとうのだが…
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__________[Erfurt Domplatz 2007 © DFS All Rights Reserved]_________
by fachwerkstrasse | 2010-12-05 23:54 | クリスマス

アメリカ大陸初のクリスマスツリー

前にエンゼル横町の建物の所有者であるリーデゼル伯爵のことについてふれた。
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________[Wetzlar Kornmarkt 2009 © DFS All Rights Reserved]_________

しかしこの一族でもっとも有名なのは、ここ帝国最高裁に奉職していたカール・ゲオルクの兄
フリードリヒ・アドルフである。実はアメリカ独立戦争の際に英国軍の援軍として参加しているのだ。

1776年にフリードリヒ・アドルフは歩兵部隊と竜騎兵連隊を組織して、英国経由でケベックに渡り、
カナダ侵攻作戦
の折に大陸軍を撃退した。しかし翌年サラトガの戦いで英国軍が降伏すると、
家族ともども4年もの間囚われの身となってしまった。

釈放された後、カナダのケベック州にあるソレルという街に移り、長年のつらい思いを払しょくすべく
ドイツの伝統的なクリスマスでお祝いをしようということになった。

そこで1781年のクリスマスを英国とドイツの将校を招いて祝うこととなり、夫人がクリスマスプディングを
焼いておもてなしをした。レディー・フリッツの名で皆から親しまれていたフリーデリケは、当時の様子を
詳細に日記に記していて、日記は現在オタワにある、カナダ国立文書館に保管されている。

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さらに、この異国でのクリスマスパーティのハイライトとして食堂に
飾られたのが、クリスマスツリーだった。ドイツではおなじみだった
この習慣も、イギリス人の客人方には初めて目にするもの。

果物やろうそくの明かりで彩られたモミの木は、さぞかし驚きだった
ことだろう。英国でツリーの習慣が広まるのは、さらに後のことだが

こちらは、200周年を記念してカナダで発行された記念切手。

デザインを手がけたのは、ドイツ人を祖先に持つ
トロント在住の画家アニータ・クンツ氏である。


__[Christmas Tree, 1781 (issued on 16 November 1981) © Canada Post Corporation]


うたげの場所となったのは、ヴィクトリア女王の父ケント公の夏の別荘でもあった。
ソレルには、現在この「大陸初のクリスマスツリー」を記念したモニュメントが建てられている。

_______________ハイデルベルク城のクリスマスツリー_____________
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________[Schloß Heidelberg 2010 © DFS All Rights Reserved]________
by fachwerkstrasse | 2010-12-04 23:40 | クリスマス

ドイツ木組みの家街道 -帝国高等法院の街 ヴェッツラ-⑱ -

さて、コルンマルクト(穀物広場)を離れる前に、もうひとつ見ておかなくてはならない建物がある。

穀物広場からドーム広場へと抜ける通り道の鍛冶屋横町(Schmiedgasse)の角地に立つ1番地。
17世紀後半の築造で、写真の一番左の建物がそれだ。。
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_______[Wetzlar Schmiedgasse 1 2007 © DFS All Rights Reserved]_______

1階部分は、19世紀後半に改装されて、ショーウィンドーが据え付けられている。
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_______[Wetzlar Schmiedgasse 1 2009 © DFS All Rights Reserved]_______

穀物広場に面した妻入りの建物には、街並みの景観を考えて趣向を凝らし潤沢に装飾が施されている。
特に目を引くのは、穀物広場に向いた角の部分だ。2階と3階の部分に、それぞれ彩色された柱がある。

2階部分には、渦巻き模様の土台から、月桂樹の蔓が絡んだ渦巻き模様の柱が、木の葉模様の柱頭に
向かって伸びている。一方、3階部分の柱はブドウの蔦に彩られている。同様に土台部分には渦巻きの
模様が施されているが、柱頭部分は獅子の頭になっている。

__________(3階の柱)______________(2階の柱)__________
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______[Wetzlar Schmiedgasse 1 2009 © DFS All Rights Reserved]________


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また一方で、鍛冶屋横町に沿って奥行きもかなりあるが、
これは18世紀前半に、元々二つ別々の建物だったのを、
鍛冶屋横町側の横長の切妻で一つにまとめたためである。



さらに二つの大きな、切妻の屋根裏部屋もとりつけられた。



建物全体としては、二階から上の部分は規則的な太い
木組みの骨組みで構成されていて、人型が特に目につく。



腕木も浅目に張り出していて、溝目模様の入った敷桁と
枕材もある。



[Wetzlar Schmiedgasse 1 2009 © DFS All Rights Reserved]______________
by fachwerkstrasse | 2010-12-02 23:53 | ドイツ木組みの家街道