まだまだ知られざるドイツの歴史探訪の旅。偉大な芸術がうみだされた現場や歴史の舞台となった場所を訪ね歩くことで、紙の上に留まらない活きた文化を醸成してゆく地道な旅の記録です


by fachwerkstrasse

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© 2010-2011 M.UNO

2005年よりドイツ在住
NRW→Thüringen→Hessen
と放浪の旅を経て、現在は
ドイツ・ハイデルベルク大学 
会議通訳修士課程 在籍中

日本独文学会幽霊会員
日本ヘルマン・ヘッセ友の会/
研究会幽霊会員


[翻訳] 

ヘルマン・ヘッセ:インドから
(ヘルマン・ヘッセ全集第7巻)
臨川書店(京都)

当ブログに掲載の文章・写真の無断転載を禁じます。写真下に
[©DFS] と記されている場合、著作権は全てブログ著者に帰します。それ以外の写真や引用は、その都度出典や著作権元を明示しております。

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ツール・ド・ヨーロッパ ②

ブログでも書いている通り、空港からハイデルベルクまでは直通のルフトハンザ・シャトルバス

(・・・と言う名のワゴン車)

バス停まで迎えに行くと、彼との挨拶もそこそこに、いきなり運転手が僕の方に歩み寄ってきて

「あんた、ドイツ語わかんの?じゃ言わせてもらうけどね、こちらのお若いの、こんなでっかい
段ボールの荷物を抱えて、今日は満員だったから、ほんとだったらこんなの運べないとこよ!
彼に言ってやってちょーだい、ほんとに彼ラッキーよ。たまたまお客さん3人が荷物なかったから、
段ボール入れるスペースがあったってわけよ。」

とまぁ、これと同じことを5回くらいまくしたてる、たてる(笑)

________________まぁ、確かにでかいわな・・・________________
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_______[Heidelberg Bahnhofstraße 2010 © DFS All Rights Reserved]_______


この運転手、外国人で(少なくとも言葉にはなまりがあった)英語があまりわからないため、
ここぞとばかりに、僕に・・・

でも、最後は運転手と二人で記念撮影だもんね♪

ヘルシンキ経由でやってきた彼は、もうおなかぺこぺこで、拙宅に到着後すぐに、お手製の中華丼をふるまう

その後は、彼の出演したワセオケのべルリン・フィルハーモニーホール公演のDVDを、最初は一緒に
観つつも、到着したばかりの客人は自転車が壊れてないか心配で仕方がない様子で、さっそく箱を開けて、
バラバラに解体して受託荷物として預けていた自転車を段ボールから、おそるおそる取り出す。

ちなみに、日本出発前の箱詰めの様子はこちら。こんな方法があるなんて、知らなかった!

さぁ、果たして自転車は、無事だろうか?
by fachwerkstrasse | 2010-11-29 09:01 | ツール・ド・ヨーロッパ

待降節 第1主日 - 1年の始まり -

この日曜日をもって、アドヴェント(Advent)と呼ばれる、クリスマス前の期間に入る。
ラテン語で「到着」という意味で、主の到着に備える期間というわけだ。これから12月25日の
聖夜までに4回の日曜日があり、イエスの誕生を祝うための準備期間であるとされる。
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________[Heidelberg Marktplatz 2010 © DFS All Rights Reserved]_______

キリスト教の一年の暦は、この待降節第1主日で始まる。そこで、毎年やろうやろうと
思いながら挫折していた企画を、今年こそは実現したい。ブログもできたことだし。

バッハの教会カンタータは、この教会暦に合わせて作られている。従って暦と合わせながら毎週カンタータを聴いていけば、四季を感じながら全作品を制覇できることになるのだ。受難曲(マタイ、ヨハネ、マルコ復元版)とロ短調ミサには、だいぶなじんできたのだが、カンタータは分量が多すぎて、どこから手をつけてよいのやらわからない。

そこで季節の流れに合わせて手を伸ばしていってみてはどうかと思った次第。
ただし、これとてもぶれずに続けようと思ったら、かなり根性がいるので、果たしてどこまで続くことやら・・・


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ところで、バッハが奉職していた当時の
ライプチヒでは、第一日曜日を除いて
カンタータの上演が禁じられていた。


前述の通り、この時節はクリスマスへの
準備期間なのだが、いわば謹んで主の
誕生を待つべしということで、結婚式や
宴会も御法度、教会で鳴り響くのも
オルガンだけとされていた。


ただ、教会暦の新たな始まりを祝うために
第1主日だけは例外だったのである。

参考

______________[Thomaskirche zu Leipzig 2007 © DFS All Rights Reserved]


そのため、ワイマール期に作曲された第4主日のためのカンタータ1曲と、第1主日のための3曲を除いて、待降節のためのカンタータ、すなわち第2および3主日のための音楽はレパートリーに含まれていない。第1主日のためだけに3曲もあるのは、1曲はワイマール期の作品、残りはライプチヒ時代の作で、ライプチヒでの最初の数年間に、カントール(音楽監督)として、ほぼ毎週のように教会暦に沿った新作カンタータを作曲し上演するという、離れ業をやってのけていたからである。これは、他の教会暦用カンタータでも同様である。

だったら、12月だけは第1主日のための3曲を3週に分けて聴いてしまえばいいんじゃん(笑)実際バッハは
この新作カンタータ「免除」期間を、クリスマス・オラトリオの作曲(ないし編曲/変曲)にあてていたのである

この時期になると、ドイツ各地の教会でクリスマスオラトリオが上演される。お膝元のト-マス教会はもとより、
プロから地域レベルのアマチュアまで、いろいろな趣の演奏会があるが、教会という空間で聴くのは、普段コンサートホールで批判的に音楽に対峙するのとはまた違った、音楽が生まれた土地ならではの感慨がある。クリスマスオラトリオの上演は、この時期の街の雰囲気とも相まって、文字通り心温まるものだ。

本来は25日から新年にかけて上演されるべきものであるが、今では6曲のうちの一部または全部を、
アドヴェント期間中の一日に、まとめて上演してしまうことがほとんどだ。従って、今の感覚では、聖夜の
音楽も12月の一ヶ月間と結びついている。カンタータも、無理に一日目にまとめてしまうことはないだろう。
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_________[Erfurt Thomaskirche 2007 © DFS All Rights Reserved]_______

この待降節から新年までは「クリスマス」カテゴリに、公現祭から後は「教会暦カンタータ」カテゴリを別に作って収めていくことにします。クリスマスカテゴリでは、バッハのカンタータとクリスマス・オラトリオに加え、クリスマスにまつわる話題やクリスマス市のことも一緒くたに取り上げていこうと思っています。

・・・と、ここまで書いてしまったので、BWV61のカンタータはまた後日(汗)
by fachwerkstrasse | 2010-11-28 16:48 | クリスマス

ツール・ド・ヨーロッパ ①

今年も残すところあと一カ月となったが、年が暮れるまでに、どうしても書いておきたいことがある。
それは今年の8月のこと。とても刺激的な出会いがあった。

ご存じの方もいらっしゃるかもしれないが、私の友人弟さんが、この夏自転車で西ヨーロッパを一周という壮大なプロジェクトを実行された。彼のブログは計画の段階から、学生ブログ読者数の第一位に輝き、数々の協賛者やスポンサーの支援を受けて、たくさんの友人や道中で出会った人たちの声援を浴びながら、自らの夢のために、そして夢や希望を持てずにいる日本の若者のために、彼は一人でペダルを漕いで、国境を越え見知らぬ土地を走り続けた。

その映えあるヨーロッパ大旅行の、最初の訪問地に、なんと我が家が選ばれたという次第!
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_____[Heidelberg Neuenheimer Landstraße 2010 © DFS All Rights Reserved]____

彼は、さらにワセオケのメンバー(オーボエ)でもあり、ベルリンのフィルハーモニーホールやドレスデンのゼンパーオペラなど、数々の栄光ある舞台に立ってもいる。いろいろな分野で才能を発揮されている、とても活動的だが、それでいて、まったく飾らない素直な人柄で、一緒にいてまったく気の置けない人である。

訪問時にも、拙宅で食事をしたり、一緒に彼のベルリンでの公演DVDをみたり、自転車の組み立てを眺めたり、そしてハイデルベルクの街を案内したり、学食に連れて行ったり、そして5年もこっちに住んでて、なかば当たり前のことになっていることにも、素直な感動をみせてくれたのが嬉しかった。こういう人を案内するのは、こちらとしても嬉しい限りだし、逆に発見もある。

到着直後から、様々な困難に見舞われながらも、持ち前の明るさと度胸と運で、前進し続け、無事にベルリン・ブランデンブルク門でのゴールを果たした、この夏の大旅行。(運も実力のうち、とはまさに彼のことをいうのだとつくづく思った)

彼自身ののブログで残念ながら漏れてしまったこぼれ話も交えながら、ハイデルベルク滞在時の彼の様子をここに記しておきたいと思う。
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____[Heidelberg Blick vom Philosophenweg 2010 © DFS All Rights Reserved]____

by fachwerkstrasse | 2010-11-27 17:34 | ツール・ド・ヨーロッパ

次世代の演奏家 ダーヴィッド・テオドーア・シュミット ②

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フランクフルト中心部から少し北に行ったところにある、ベヒシュタインでのコンサートは、店頭でのイベントながら、ピアノはフルコンサートグランドなので、ちょっと耳が痛かったが、彼の持っている音楽はまごうかたなき、本物だった。


最新のCDとほぼ同じ演目の、メンデルスゾーン、
シューベルト、ブラームスを見事に披露。


実際に間近で観てみたら、写真よりもっと気品が漂っていて、確かにいかにも育ちのよさそうな風貌だけど、でも普通に大学とかにいそうなお兄ちゃん(笑) しかも休憩時間には、トイレで隣同士(笑 ←店内だからね)


_____________________[David Theodor Schmidt © KASSKARA 2006]


アンコールで「これだけの濃いぃ演目の後で、さらにアンコールとなると、選曲がとても難しいのですが・・・」
と、軽く笑いをとりながら、無言歌集よりデュエットを披露。

とりたてて、解釈の面で斬新さを打ち出しているわけではなく、むしろ拍子抜けするほどに真正面から音楽に取り組んでいる。だから、ファジル・サイやカツァリス、シフラなどが好きな人にとっては、おそろしくつまらない音楽だと思う。ドイツ期待の星として大活躍のシュタットフェルトがいるが、彼が斬新さを打ち出して、スタイルとしてはスマートさを打ち出しているのとは好対照だ。



また今年の3月にはテューリンゲン・バッハ週間に登場。b0206899_18454468.jpg

ワイマール城のホールでバッハのパルティータやリストを
披露した。だが、ここではピアノがあまり良い楽器ではなく
豊かな音色の陰影があまり味わえず、少し歯痒い思い。

(だってフルコンサートサイズじゃないでしょ、これ…)

それに、スタインウェイの華麗でメタリックな響きよりも、
ややもすればくぐもった、陰影のあるベヒシュタインの方が
とりわけバッハやドイツの初期ロマン派の演奏には合う。

確かに後半のリストに照準を合わせて
調律していたのかな、と思わなくもなかった。

[Weimar, Festsaal im Stadtschloss 2010 © DFS All Rights Reserved]_________


2011年がリスト年ということもあり、しばらくリストを取り上げていくようだが、彼にはやはり超絶技巧とは違う世界を開拓していってほしいと思う。あれだけの音色でシューベルトを表現できるピアニスト、すなわち単なる演奏家ではなく芸術家としての音楽家は、滅多にいないのだから。そして、彼の芸術にはやはりベヒシュタインが合う。

来年はオーケストラとのツアーに加え、夏の音楽祭への出演、秋には再びベヒシュタインの店舗ツアーをやるようだ。おそらく僕が彼のスタインウェイを聴いて感じたのと、同じ思いなのだろう。やはり相当にベヒシュタインに思い入れがあるようだ。

しかも、節操無くあちこちに出まくるのでもなく、舞台に立つ頻度を考えているようだし、がつがつと売り込むことなく、こうした小規模のツアーによって、じっくりと自分の音楽を追求している姿勢にも好感が持てる。

まだ20代であの円熟度合い。本当に円熟したら、どんな音楽になるのだろう??
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________[Weimar, Stadtschloss 2009 © DFS All Rights Reserved]________
by fachwerkstrasse | 2010-11-26 18:51 | 次世代の演奏家たち

専門用語との格闘

前回のEngelgasse 2の建物は、かなりの難関だった。

木造建築の部材名やらがてんこもりの説明を読んで、まず訳語を特定する、独和大辞典になくとも、グリムの辞書にあればまだ御の字で、それでもだめなら、ドイツ語をまず英語にし(独英ないし日英ならネット上にもそこそこ使えるツールはあるものだ)そこから日本語を導き出す。

それもだめなら、グーグルでその言葉を検索し、実際にどのように使われているのかを比較検討して、今度は再度日本語で、それと思しきキーワードで検索をかけて、少しづつその意味するところに近づいていき、お目当ての物を発掘してゆく、という気の遠くなるような作業。

時たま、ウィキペディアが思わぬ役に立つこともある。ウィキペディアは、決して全幅の信頼を置いて使ってはいけないツールだが、一つの項目に各国語へのリンクがあるのは、非常にありがたい。これのおかげで、上記のまどろっこしいプロセスが一気に軽減される。もちろん、最後にはきちんと各々を確認しなくてはならないが、まずはその「入口」にたどり着くのが至難の業なので、そこを今はやすやすと飛び越えられるのは、なんともありがたい。しかし決して体系的にまとめられたツールではなく、不完全な項目もかなりあるのが、仇になることもある。こうなると一気に袋小路だ。
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________[Wetzlar Engelgasse 2 2010 © DFS All Rights Reserved]________

これはお金をもらっている翻訳でも同じことで、技術系、工業系の場合、どちらも日常使わない言葉を使用していて、その中で各々の世界が完結してしまっており、ましてそういう情報源の場合、外国語との接点なんてないに等しいので、双方の実例をそれぞれ見ながら、該当するものを双方の中で探り出していかないといけない。

米原真理氏も著書で述べておられたが、英日の通訳者が、なまじっか辞書・事典・情報データバンクが整っているために、たいていの場合単なる言葉の置き換えだけで済んでしまうのに対し、それ以外の言語の通訳者の場合は、上に述べたような作業、つまり実際にそれぞれの言語での説明書や図面と格闘することでしか訳語を特定することができないので、結果的に対象となる分野なり商品なりを「勉強」することになる。

そのため、英日通訳者が訳語を口にすることはできても「内容を真に理解はしていない」ということが、
実際に起こるのだそうだ。言葉を置き換えることはできても、機能や役割などはわからないのである。

(米原真理 (2007)「ガセネッタ・シモネッタ」文春文庫 11版 pp. 152-156)

自分の場合、もし取り上げていたのがアメリカかイギリスの伝統建築で、英語の説明を頼りにしていたのだったら、おそらくそのまま字面通り訳して、はいおしまい!だっただろう。建築工法や装飾を具体的に理解するところまではいっていないはずだ。

まずなんとか訳語を特定できても、それが写真と照合してもどこのことやら、まるでわからない。こんなに気持ちの悪いことはない。あちこち見比べて、写真を拡大したりして、でも分からない時には本当に分からない。まるで見当がつかないので、これはひょっとして外からは見えない内部のことを言っているのかしらん?とも思ったりした。(結果的にそれは間違いで、どの説明もすべて外から見てちゃんとわかるものでした)

________初秋のヴェッツラーの街並みを、ラーン川の橋より眺める________
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_______[Wetzlar Alte Lahnbrücke 2007 © DFS All Rights Reserved]_______

それが、まるで時間がきてトーストがチーン!と焼けたように、ある瞬間に突然ゼロから百へと理解度が飛躍するのだから、不思議なものだ。しかも、ひとつわかると、芋づる式に、以前の記事でも保留にしていたところがわかったりもして、もうこの瞬間には、一気に使えていたものが取れた気分で、実にすがすがしい。

ここ数日このことばかり考えあぐねていて、睡眠にまで影響を及ぼしつつあったが、今はすっかり爽快な気分だ。おかげさまで、今回もこの気の遠くなるような作業を通じて、存分に勉強さしてもらいました。

そして、内容を理解できない限り、決してこなれた日本語にはできない。改めてそのことを痛感する。それでなくても、文法も発想も何もかもが異なる言語間では、ただ単にに主語述語をはじめとする構文や目的語、関係詞節や副文との関連をそのまま置き換えたのでは、まるで意味不明な表現になってしまう。

そのため、翻訳者が内容を理解した上で、その内容を今度は自分の言葉で表現しなおさないといけない。日本語がこなれていないのは、それは訳者が理解できていない証拠でもある。逆に、自分が理解したことをわかりやすく表現できたならば、それはたとえ原文から離れていたとしても、決して誤訳ではないのだ(学校の古典的な英文和訳の課題は別だが)

そういうわけで、理解度をさらに高めるべく、前回の記事を中心に、15、14、12の記事でも、部材を特定した写真を挿入し、わかりやすくしました。以前の記事もご参照いただければ幸いです。

______________秋、霧に包まれたラーン川と橋______________
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_______[Wetzlar Alte Lahnbrücke 2010 © DFS All Rights Reserved]_______
by fachwerkstrasse | 2010-11-25 23:57 | 雑感

ドイツ木組みの家街道 -帝国高等法院の街 ヴェッツラ-⑰ -

やっと書けた・・・(涙) 今回は各部材や工法の描写を特定するのに、まる一週間費やしました。
しかし分かった時の喜びもひとしお、疲れも一気に吹っ飛びました、やれやれ



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穀物広場南端を一段下ったエンゲルガッセ
(エンゼル横町)2番地の建物も実際には
穀物広場の景観のむしろメインスポットに
なっているので、ここで取り上げておこう。



こちらの3階建ての細長い家は
1607年に建てられた。


18世紀までは「太陽軒=Zur Sonne」
と呼ばれていた。


建物の所有者は、当時帝国最高裁に
勤めていたリーデゼル伯爵だった。



[Wetzlar Engelgasse 2 2010 © DFS All Rights Reserved]________________


リーデゼル家とは、現在のヘッセン州中部から北部にかけての貴族の家系で、最初に文献に登場するのは13世紀のこと。特に17世紀から18世紀にかけて、アドルフ・ヘルマンから、その長男で帝国最高裁で試補として勤務していたヨハン・ヴィルヘルムへと続き、さらにその息子であるカールゲオルク(1746–1819)は、法学の学位を取得し、ヴュルテンベルク大公の下で元帥ならびに侍従として仕え、1778年にヴェッツラーの帝国最高裁に移り、のちにヴュルテンベルク公国の後見裁判所の所長を務めた。


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建物の骨組みには様々な装飾が施されている。


右の写真は角の支柱の部分だが、支柱の右上に
穀物広場12番地、10番地と同様のハート形の
持ち送りがある。真ん中がハート形に刳りぬかれて
いないが、斜めの線の切れ込みは同じだ。


そこから右下に向かって、斜めに扁平な支柱をしつらえて
ある。各階ごとに、角の部分がこのように組まれている、





________________[Wetzlar Engelgasse 2 2010 © DFS All Rights Reserved]


そして各階ごとに、腕木が浅めに張り出している。遠目からは四角いブロック状に横に点々と並んでいる。
敷桁と枕材には、彩色され、丸く刳りぬかれた筋模様と四角い溝目模様の装飾が施されている。
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________[Wetzlar Kornmarkt 2010 © DFS All Rights Reserved]________


また特に目を引くのが、穀物広場に面した出窓部分だ。角の支柱には木の葉模様の装飾と、ひし形模様の鱗のついた結節と、渦巻き装飾に菱形の溝目模様の付いたフリーズに彩られ、さらにブドウの蔓に縁どられている。窓の下の胸壁の部分には、右側に薪架の装飾があり、外側にでっぱりがあって、内側はハート形に刳りぬかれている。そして左側には、様式化された円盤状の太陽が描かれている。
薪架については、こちらの記事を参照。
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________[Wetzlar Engelgasse 2 2010 © DFS All Rights Reserved]________


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さらに真ん中の脚柱には
神聖ローマ帝国の宝珠がみられる。


後にはこの帝国宝珠が建物の名前になった。


筆者の推測だが、おそらく帝国最高裁に
関係していたことで、一種の愛国心から
この宝珠を取り付けたのではないだろうか。






________________[Wetzlar Engelgasse 2 2010 © DFS All Rights Reserved]


19世紀に入ると、この建物ではビール醸造所兼居酒屋が営業していた。1981年に修復が施され
現在の赤い骨組みのまばゆい姿に生まれ変わった。1974年の写真がこちらにあります。
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________[Wetzlar Kornmarkt 2009 © DFS All Rights Reserved]________
by fachwerkstrasse | 2010-11-24 23:57 | ドイツ木組みの家街道

もうすぐ待降節

次に取り扱うつもりでいたヴェッツラーの物件を調べていて(こう書くと、不動産屋みたいだな- w) 思わぬ障壁にぶつかり、急場しのぎのネタを書きあげる時間もなかったので、4日間もお留守にしてしまいました。「つなぎ」用のネタはたくさん用意してあるのだけど、まだそのためのカテゴリを構築するに至っていないので、早いところこうした場合に備えた体制づくりもやっておかないと!

いつものように、歴史的建築物の過去を洗っていたら、ヘッセン州の貴族の家系が急きょ浮上し、これがネットを探してもなかなか特定できる資料が見つからずに難儀したという次第。もう少しでなんとかなりそうなので、数日中には17回目がここに載るはず。
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_________[Wetzlar Kornmarkt 2009 © DFS All Rights Reserved]________


例年よりも太陽がよく顔を出した11月もあっという間に過ぎ、もうすぐアドヴェント(待降節)と呼ばれる期間に入る。イエス・キリストの生誕を祝うクリスマスの前の一ヶ月間、正確には25日の降誕節から遡って4つ前の日曜日から始まる。そして順繰りに第一、第二主日・・・という具合に、聖夜の到来を待ち望むのである。

家庭では、緑冠に彩られた4本の赤い蝋燭を用意して、毎日曜日ごとに一本づつ火を燈していく習慣がある。また、アドヴェントカレンダーという、紙の箱に30個の窓がついていて、毎日一つづつ空けてチョコレートを取りだすというこの時期専用のお菓子パックもある。

そして何よりも、この待降節に合わせて、各地でクリスマス市が開かれる。
普段は殺伐としたドイツの街並みが、一年で一番輝く時だ。
わが街ハイデルベルクでは、すでに街中の広場で準備が進んでいる。
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______[Heidelberg Universitätsplatz 2010 © DFS All Rights Reserved]_____


宗教的な背景や意味づけはこの際置いておくとして、待降節から聖夜にかけての暦や習慣は、一年のうちで最も日照時間が少なくなるこの時期を乗り切るための、いわば生活の知恵ではないかと自分は思っている。

現在では、イルミネーションで彩られるクリスマス市のおかげで、16時頃には真っ暗になる街中が、かえってそのために幻想的な雰囲気に満たされるし、電気などなかった昔でも、1週間ごとに聖夜を待ち望む暦があるおかげで、憂鬱な気分を晴らすこともできたに違いない。賭けてもいいが、もし欧州のの冬からクリスマスをごっそり抜いたら、自殺者は倍増するに違いない。

木組み建築の合間に、季節限定の風物詩たるクリスマス市もいくつか取り上げていこうと思っています。
こうご期待!
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______[Heidelberg Universitätsplatz 2010 © DFS All Rights Reserved]_____
by fachwerkstrasse | 2010-11-21 22:00 | クリスマス

お礼 @ 訪問者2000人

9月頭にブログを開設してから、訪問者が2000人を突破いたしました。ありがとうございます!
ぜんぜんコメントがつかずに、ちょっと寂しいのですが(笑)
こんなオタクブログに、毎日訪れて下さる人がいらっしゃることには、感謝感謝です。

__________雪のヴェッツラーの街並み ラーン川にかかる橋からの眺め_________
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_______[Wetzlar Alte Lahnbrücke 2009 © DFS All Rights Reserved]_______


個人的には、木造建築技術や専門用語について、勉強しながら書いているのが、とても楽しいです。
実は、ちょうどヴェッツラーについて書こうと思い、もともと最初は一つだけ、分からなかった部材の
名前を調べているうちに、ヘッセン州の文化財保護庁の検索エンジンにたどり着きました。

州内の地域、町名を選択し、通りの名前ないし住所を入れると、そこの建造物の情報が出てきます。ここに
ヘッセン州の文化財保護に指定されている物件が全て登録され、建築様式や歴史などの詳細も記されています。

これに出会ったが運のつき。最初はこれを翻訳する形で格闘していましたが、何度か訳しつつ、写真と見比べてその説明がどの個所を指しているのかなどが、少しづつわかるようなってくると、自分の言葉でわかりやすく表現しなおすことができるようになってきました。(お気づきかもしれませんが、後からちょこちょこと修正しています)

________________夕暮れ時の橋の上__________________
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________[Wetzlar Alte Lahnbrücke 2009 © DFS All Rights Reserved]______

しかも、重要建築物とは知らずに素通りしていた建物もかなりあり、たまたまついでに撮っていた
写真に収まっていたものをアップするしかなかったりと、かなり苦し紛れなところもありました。

けれど、この作業を通じて、今までは漫然と眺めていただけの木組み建築の、細かい部分まで理解しながら観察できるようになり、部材の組み合わせなど、一見何もないように見えるところにも、実はきちんと意味があるのだということがわかるようになってきました。

木造建築の専門用語や工法についても、いずれまとめていきたいと思っています。

これはまったくのお門外漢である建築に精通する、とても良い機会であり、しかも思い起こせば、これこそが
このブログを始めようと思い立った、そもそもの動機なわけですから、これからも地道に記事を執筆して
木組みの家の勉強をしていければと思います。

________________ラーン川の流れと橋_________________
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________[Wetzlar Alte Lahnbrücke 2010 © DFS All Rights Reserved]______

木組み建築以外の話題も、ちょこちょことはさんで、盛りだくさんの内容にしていけたらと思っています。
これからもよろしくお願いいたします。

ドイツ・ハイデルベルクにて
宇野将史
by fachwerkstrasse | 2010-11-17 05:54 | 雑感

袖すりあうも・・・

半年ほど前のこと、メンザで食事をしていたら、斜め向かいに
晩年のロナルド・レーガンにちょっと似た風貌のご老人が座った。

ハイデルベルク大学の学生食堂。手前のU字型の建物がそうで、かつては王室の厩舎だった建物だ。
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______[Heidelberg Mensa Marstall 2009 © DFS All Rights Reserved]_______

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ちなみに、奥の灰色の建物には考古学部が入っている。
昔はもっときれいな建物が建っていたようだが、古い街並みを
誇るこの街でも、ところどころ、こういう無粋な鉄筋コンクリートに
置き換わってしまっているのが悔しい。


_____________[Heidelberg-Panorama, Matthäus Merian, 1620 (Ausschnitt)]

Guten Appetit (日本語のいただきます、と違って、食事をする際に互いに「おいしく召し上がれ」とかける言葉) からはじまり「学生さん?」とか、いろいろ話しかけてきた。日独英の通訳を勉強しているというと「むかし日本にいったことがあるよ、ただし1週間だけだけど」といって、身の上話をたくさんしてくれた。

隣町 Ludwigshafen にある化学企業BASFの営業を長く勤めて、その時は三菱と取引をしたらしい。梱包に使う技術みたいなことを話していたが、これはよくわからなかった。ただでさえ専門的な内容な上に、今はもう長らく使われてない技術らしい。四日市と東京にいって、東京では築地の魚市場をみたり、芸者パーティやフィリピン人パブに連れてってもらったり(笑)古き良き時代の日本式ビジネスを堪能した様子。

日本語で「はい」というのは、あれは Ja のことかね?印象的だったのは、日本人のビジネスマンは、みんな上司の言うことに、直立不動でひたすら「はい」「はい」だよ。日本人は常に集団で行動しないといけないみたいだね。ドイツ人は違う。営業や出張にしたって、たいてい一人だ、時には2人で行く時もあるけど、めったにないね。僕自身、個人主義者さ。自分で考えて決めて行動したいもんだね。「そう、日本人はぜんぶ肯定しないといけない、そうでないと生きていけないんですよ」 僕はそう答えた。

あとは、オーストラリアやオランダとか、いろんなところにいった。日本よりも、もっと長くいたよ。オランダでは言葉も勉強した。確かにドイツ語と似てるけど、でも実際に使うとなると、ほとんどぜんぶ新たに学ばなければいけないから、なかなか大変だったけどね。

_________________秋、紅葉のハイリゲンベルク_______________
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_______[Heidelberg Neckaerstaden 2010 © DFS All Rights Reserved]______

そうして、家族の話など、食事が終わっても30分ほどいろいろ話をしていた。ひとしきり話したあと、その個人主義者の老人は、まずオランダ語の別れのあいさつを教えてくれた後、突然食器を片づけ始め、立ちあがり、リュックを背負いながら、「日本語で Auf Wiedersehen は何だっけ?」と言って、僕が答える前にニヤッと笑って「サヨナラ」と言い、風のように去って行った。
by fachwerkstrasse | 2010-11-16 20:21 | 雑感

ドイツ木組みの家街道 -帝国高等法院の街 ヴェッツラ-⑯ -

おっと、広場の隅にあるものだから、テラスを降りたところの角にある最後の一軒を見逃すところだった!

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________[Wetzlar Kornmarkt 12 2010 © DFS All Rights Reserved]_______

穀物広場の階段を下りて、広場から見て向こう側、西に向かって延びているアーベルガッセ
(アベル横町)との角にあたる15番地に立つ3階建てのこちらの真っ黒な建物は、中世後期に遡る。

建物の上下で漆喰塗の壁とスレート葺きの壁とに分かれているのが特徴だ。

前面ファサードは簡素なつくりで、2階から上の部分では持ち送りが若干せり出している。
窓の配置は階層ごとに不均衡で、2階の真ん中部分には四角い出窓が心持ち張り出している。

穀物広場は北から南へ向けて傾斜しており、この建物がもっとも低い位置にあるが、切妻の高さは
広場の他の建物と揃えられている。建物の右側に屋根がずれていて、高い切妻造の屋根裏部屋もある。

アベル横町から建物を眺めると、階層毎に大きさが違い、せり出している。これも建造年代が古い証拠だ。
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________[Wetzlar Kornmarkt 12 2010 © DFS All Rights Reserved]_______

特に最近になって建て直された奥の2件の建物と比べると、新しい建築物には、古い建物特有の「ゆがみ」がない。ファサードのラインも縦一直線まっすぐきれいに整っている。こればかりは古い工法が年月を経た上でないと出せない「味」なのだ。どんなに古い様式を真似して建て直しても、それはミミックでしかない。
by fachwerkstrasse | 2010-11-15 22:58 | ドイツ木組みの家街道