まだまだ知られざるドイツの歴史探訪の旅。偉大な芸術がうみだされた現場や歴史の舞台となった場所を訪ね歩くことで、紙の上に留まらない活きた文化を醸成してゆく地道な旅の記録です


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© 2010-2011 M.UNO

2005年よりドイツ在住
NRW→Thüringen→Hessen
と放浪の旅を経て、現在は
ドイツ・ハイデルベルク大学 
会議通訳修士課程 在籍中

日本独文学会幽霊会員
日本ヘルマン・ヘッセ友の会/
研究会幽霊会員


[翻訳] 

ヘルマン・ヘッセ:インドから
(ヘルマン・ヘッセ全集第7巻)
臨川書店(京都)

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なぜ「木組み街道?」 (4) - 歴史の連続性と街並み -

このような歴史的背景から、昔ながらの純粋な木組みの街並みを見るためには、田舎町にまで足を延ばさなくてはならない。そして、現在ドイツ木組みの家街道に指定されている街には、見事なまでに木組み一色のところが多い。ひとたびこれを目にすれば、通常の観光ルートに組み込まれているドイツの街並みと、歴史の重みを今にまで伝える街並みとがいかに異なるかを感じずにはいられない。したがってドイツを知り、ドイツの歴史をみるには、大都市だけでは足りないのだ。

(ミュンヘンのシンボル、聖母教会)
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[Die Münchner Frauenkirche 2006 © DFS All Rights Reserved]

一見古き良き街並みを誇るように思えるミュンヘンも、先の大戦で完全に破壊し尽くされている。建物を子細に観察すれば、鉄筋コンクリートの現代建築に伝統風のお化粧を施しているだけなのである。

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[München, Weinstraße 2006 © DFS All Rights Reserved]


それにしても、永続的な発展を遂げてきた大都市でありかつドイツ中世史の生き証人とでも言うべき街並みを誇っていたフランクフルトニュルンベルクが失われたのは、悔やんでも悔やみきれない。かつて帝国都市として栄え、その後は時代の流れから取り残されてしまい、現在では田舎町となっているところでも歴史をしのぶことができるが、こうした街では大都市のような「歴史の連続性」がみられない。そして近現代に戦略的重要性を失っていたが故に、攻撃目標から外れたわけなのだが…。

フランクフルトのあの旧市街が残った上で、NYのそれとは比べ物にならないものの、今のあの摩天楼と併存していれば、真のヨーロッパ的な都市となっていたであろうに…。マイン川沿いの岸辺にあるレオンハルト教会は、旧市街の中で破壊を免れたほぼ唯一の建造物といってよい。

(下の写真、船と真ん中に聳えるコメルツ銀行本社タワーの間の二つの尖塔の教会がそれ)
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[Frankfurt/Main: Mainufer, Leonhardskirche, Bankentürme 2009 © DFS All Rights Reserved]


市庁舎のあるレーマー広場のニコライ教会も、爆撃による破壊を免れた貴重な建築物である。

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[Frankfurter Alte Nikolaikirche 2009 © DFS All Rights Reserved]


こうした批判力を養うためにも、人間は常に本物に触れていなくてはならないのである。真の歴史の蓄積を経たものとの対比によってはじめて、現代の技術による複製のアラが認識できるようになる。田舎に出かけて、400年、500年の年月を誇る本物になじんだ眼には、その違いは一目瞭然だ。そして現代の野蛮さがいっそう浮き彫りになる。

(このように、建造年代が記されている建物が多い)
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[Ladenburg, Kirchenstraße 2010 © DFS All Rights Reserved]
by fachwerkstrasse | 2010-09-17 01:59 | なぜ木組み街道?

マネッセ写本 1

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シュタウフェン朝の神聖ローマ皇帝ハインリヒ六世


赤髭バルバロッサことフリードリヒ一世の息子として

1191年にローマで戴冠。



今日残っている詩句は、まだ皇帝に即位する前、

1184年の聖霊降臨祭の時に開かれた

マインツ帝国議会の折に成立したものと考えられている。


[Codex Manesse, Kaiser Heinrich © Universitätsbibliothek Heidelberg]________



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神聖ローマ皇帝コンラート四世の息子コンラディン


帝位は継承できなかったが、シュヴァーベン公、
エルサレム王、シチリア王でもあった。


アンジュー伯シャルル、後のシチリア王
カルロ1世に敗れ、ナポリで処刑される。


16歳の若さだったため「若きコンラート」
の名で知られている。

これによってホーエンシュタウフェン朝は
断絶し、第九うい時代を迎えることとなる。



_____[Codex Manesse, König Konrad der Junge © Universitätsbibliothek Heidelberg]


__________コンラディンの手になる二編の詩が残されている。_________
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___[Codex Manesse, König Konrad der Junge © Universitätsbibliothek Heidelberg]__



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ショッテンのティーロ王


とはいっても、これは実在の人物ではなく
写本に記された叙事詩の題名である。


作者は不明で、テューリンゲン出身だと
推測されているが、13世紀前半に成立
したと考えられている。ここの絵で描写
されているのは、父親のティーロ王から
息子フリーデブラントが、王としての家臣
に対する義務と、身分をわきまえた
騎士道精神に則った宮中での振る舞い
について教えを受けているところである。




[Codex Manesse, König Tyro von Schotten © Universitätsbibliothek Heidelberg]____


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プシェミスル朝のボヘミア王ヴァーツラフ2世


ポーランド王としてはヴァツワフ2世。



1297年にプラハで即位した。



在位中、プラハの宮廷は

ドイツ文学の中心地となった。





___[Codex Manesse, König Wenzel von Böhmen © Universitätsbibliothek Heidelberg]
by fachwerkstrasse | 2010-09-16 11:02 | マネッセ写本

なぜ「木組み街道?」 (3) - 真の歴史および美とは -

従って、本来ならば最も歴史の古い町の中心部(所謂旧市街区)から、街の外側に向かって時間の流れに従って、街の風景が変化してゆくべきところを、街の中心部に、今となっては古びて煤けたモダニズム建築が立ち並び、その外側に19世紀末の歴史的な建築が立ち並ぶという、歪な時間構造を呈している街が多い。

ヘッセン州の中部、フランクフルトの北約50kmに位置する大学町ギーセンの「旧市街」。街路の配置だけは中世の面影を彷彿とさせるが、立ち並ぶ建物はほぼすべて鉄筋コンクリートである。

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[Gießen, Marktplatz 2007 © DFS All Rights Reserved]

現在人口7万人あまりのこの町も、1944年の空襲で中心部の旧市街は9割が壊滅。かつてビューヒナーが革命騒ぎを起こして指名手配になったり、ゲーテの父親が法律の学位を取得したり、科学者のリービヒやレントゲンが教鞭をとっていたり(現在のギーセン大学は彼の名前を冠しているし、レントゲンの墓は実はここギーセンにある)という歴史もあるが、今日その歴史をしのばせるものは、ほとんど残っていない。

そんな「典型的」ドイツの街並みからは、自らが引き起こした狂気と暴力によって、何百年もの歴史の蓄積を一夜にして寸断されてしまった「歴史」の悲鳴が聞こえてくるようだ。しかしそれに対して、古き街並みをせっせと破壊し、その上に立つ新しい街並みすらをも恐るべきスピードで改造してゆく日本の街づくりは、そんな悲鳴をあげることすら許容していない。

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[Gießen, Marktplatz 2007 © DFS All Rights Reserved]


わずかな例外は、奇跡的に第二次大戦の爆撃を逃れたハイデルベルクやバンベルクくらいのもので、そのハイデルベルクも16世紀から17世紀にかけては、戦災で一度焼け野原となり、その後に再建された街並みが今日まで保存され伝わってきているのである。山の中腹にある有名な城を中心に、プファルツ選帝侯領の首都として、学問の中心地としての歴史を誇るハイデルベルクは、今は観光地化してしまいかつての雰囲気は失われてしまっているものの、城の麓に広がる旧市街の目抜き通りだけでなく、そこから一本路地裏に入って裏手通りを見ても、フランス風のバロック様式の建物群が数百年の間そのまま残っているのが分かる。

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[Heidelberg, Krämergasse 2009 © DFS All Rights Reserved]


司教都市として発展したバンベルクにも、バロック様式の建築物を中心として、1000年間の歴史がそのまま今も呼吸している。 ハイデルベルクは残念ながら世界遺産の登録に3度も落選しているが、バンベルクはこの街並み全体が世界遺産に登録された。もちろん大聖堂をはじめとする個々の建築物も、非常に重要なものである。

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[Bamberg, Karolinenstr. 2008 © DFS All Rights Reserved]


また、現代まで継続的に発展してきた大都市の場合には、常に様々な建築物が建てられてきているため、当然ながら木組みの家一色ではなく、様々な時代の様式が混ざり合って美しい調和を成している。エアフルトなどがその典型といえるだろう。中世から近世にかけて、交易の要衝として大いに栄えたエアフルトのフィッシュマルクト(魚市場) には、その富を今も物語る豪商の館や商工会議所といった、実に様々な様式の建築物が博覧会のように所狭しとならんでいて、圧巻である。

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[Erfurt, Fischmarkt mit Haus zum Roten Ochsen 2007 © DFS All Rights Reserved]

19世紀後半に建てられたネオゴシック様式の市庁舎は、時代的には明らかに他の建物よりも「浮いている」はずなのだが、全体としてはなぜか調和を成しているのが不思議だ。さらに時代を遡って、美しい木組みの家もこの町にもはたくさんあるが、それ「だけ」ではないわけである。しかもわずかながら第二次大戦の爆撃で破壊された教会の廃墟や、さらに東ドイツ時代の鉄筋コンクリートまで拝めるという、おまけつきである。ドイツ千年の歴史のほぼすべてを俯瞰するには絶好のロケーションというわけだ。

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[Erfurt, Fischmarkt mit Rathaus 2007 © DFS All Rights Reserved]
by fachwerkstrasse | 2010-09-15 10:33 | なぜ木組み街道?

ハイデルベルク大学図書館 マネッセ写本特別展

現在のドイツ連邦共和国内で最古の歴史を誇るハイデルベルク大学は、来年創立625周年を迎える。
各種の記念行事が企画され、記念グッズも販売されるが、その一環として貴重な展覧会も開かれている。

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______[Codex Manesse, Register © Universitätsbibliothek Heidelberg]_____


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その歴史に比例して、大学図書館も当然それにふさわしい蔵書を誇るわけだが、通常の学術書に加えて、中世からの貴重な資料も収集している。実は1386年の設立当初から数百年に渡り、収集を重ねてきたビブリオテーカ・パラティーナがあったのだが、これは三十年戦争の折に戦利品としてローマ教皇に差し出されてしまった。カルヴァン主義を採用して人文主義の中心地として機能して
いたが、戦後はカトリックに逆戻りしてしまったのだ。

様々な紆余曲折を経て今日に至る大学と図書館であるが、
現在の蔵書の中でも目玉となっているのが、中世の重要な
「マネッセ写本」である。またの名を「大ハイデルベルク歌謡写本„
Große Heidelberger Liederhandschrift“ 」



[Codex Manesse, Einband Vorderdeckel © Universitätsbibliothek Heidelberg]_____


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14世紀にチューリヒで製作されたもので、中世ドイツの宮廷詩人(ミンネゼンガー)の手による重要な詩歌が収められている。

140もの中高ドイツ語による詩歌のと、各々の詩人をイメージ化した138の細密画が収録された、大変豪華な写本である。

今回の展覧会では30の手稿に4つの揺籃期本
(1500年以前に印刷されたもの)と52の印刷物である。

さらに、かつてのビブリオテーカ・パラティーナに収蔵されて
いた貴重な手稿も展示される。

マネッセ写本は大学図書館のサーバーですべて
電子化され自由に閲覧できるようになっている。
さらにPDFファイルで一括ダウンロードも可能だ。



___________[Codex Manesse, Register © Universitätsbibliothek Heidelberg]


展覧会への予習を兼ねて、電子化された細密画をここで取り上げていこうと思う。
はたして、その上で実際に見る700年前の書物はいかなるものか!?
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__[Codex Manesse, Einband Vorderschnitt © Universitätsbibliothek Heidelberg]___
by fachwerkstrasse | 2010-09-14 03:17 | マネッセ写本

なぜ「木組み街道?」 (2) - 歴史と伝統をめぐって -

しかし歴史的な街並みを保存する上で最も致命的なのは、やはり戦争による人的被害だ。例えばかつては神聖ローマ皇帝戴冠式が執り行われたフランクフルト中心部は、1944年まではドイツの中でもこうした中世以来の街並みが最もよく残っていた街だったが、連合軍の爆撃で灰燼に帰してしまう。

その後のモダニズムによる現代的メトロポールを建設する復興プランの中で、かつての街並みが再現される可能性は完全に閉ざされてしまう。他にもシュトゥットガルトカッセルなどは、街の区画を始め、わずかに残った歴史的建造物に至るまで全て撤去して、むしろこれ幸いとばかりに、まったく新しい町づくりを行った。

また、旧東ドイツでも社会主義的街づくりのもと、同様に破壊されていった建物が数多くある。いずれも20世紀の文明の力を悪用した、政治的暴挙である。

しかし一方で、ナチスの拠点であったミュンヘンニュルンベルクなどのように、壊滅的破壊された南部の街は、現在まで綿々と受け継がれている保守的な気風から、できるだけ破壊前街並みを取り戻すべく、最大限の努力がなされた。

戦前は百塔の都エルベ川のフィレンツェと謳われたドレスデンだが、英国空軍による爆撃古都壊滅。戦後は東ドイツによる街づくりが進められた上に、資金不足で満足な復旧もできないままでいた。聖母教会をはじめ、再建のほとんどは、東西ドイツ統一後に進められたものである。

しかしいずれの都市でも、やはり失われたものの大きさを感じずにはいられない。21世紀に入ってようやく再興なったドレスデンにいたっては、戦後45年の空白を経てようやく、かつての姿を忠実に再現しようと試みたわけだが、戦後60年を経て、今ようやくできあがった「古い街並み」をいざ目の前にして、長年のドイツ人の悲願であったにも関わらず、歴史の重みを重視する立場からみれば、これはほとんど茶番である。(あれをみて「ハウステンボスみたいだ」と揶揄していた方もいたほどだ)

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[Der Dresdner Neumarkt 2008 © DFS All Rights Reserved]


戦後のドイツは、否応なしにドイツの「伝統」と批判的に対峙することを余儀なくされ、一時は古いものを徹底的に排除する思潮が主流だった。そのためかつては「時代遅れ」または「古いドイツを体現する善からぬ代物」という風潮さえあったが、80年代あたりから、こうした古い街並みに対する意識が再び芽生え始める。そうした流れを受けて、現在は鉄筋コンクリートの忌まわしい建物群が立ち並ぶフランクフルト旧市街を再建するプロジェクトが最近始まったのだが、私はこれについても懐疑的だ。

すでに市庁舎のあるレーマー広場には、こうした思潮が湧きおこった直後に、木組みの家が再建されているが、これも歴史の流れから寸断された「ニセモノ」に他ならない。そんな「旧市街」を今更再現したところで、一体どんな意味があるというのであろう。せいぜいのところ、新たな名所「旧跡」として観光資源にするのが関の山だ。しかし、爆撃で「歴史的建造物」が吹っ飛んだ事実も「歴史」の一部であるはず、それに蓋をして何事もなかったかのように、ニセモノで「歴史」を書き換えることは、詩を書くことよりもなお野蛮である。

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[Römerberg, Frankfurt/Main 2009 © DFS All Rights Reserved]
by fachwerkstrasse | 2010-09-13 17:01 | なぜ木組み街道?

なぜ「木組み街道?」 (1)

ブログの名前は、ドイツ木組みの家街道。あまり知られてはいないが、ドイツの南北にまたがって、7本設定されている観光街道である。木組みの家とは、特にドイツ中部を中心にみられる、伝統的な家屋の作りで、文字通り木の骨組みが露わになっている隙間に、粘土や煉瓦づくりの壁が埋め込まれているのが特徴である。

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[Homberg (Efze) in Nordhessen © DFS All Rights Reserved.]


中世から近世にかけて、ドイツの至る所で、この木組みの家がびっしりと並び、美しい街並みを形成していた。特に中世から近世にかけて、帝国都市東西通商路の中継点、または君主の居城の城下町として栄えた町には、様々な装飾が施された絢爛豪華な家々がこれみよがしに立ち並んだ。これらの多くは、その後の時代の流れから取り残された田舎町が多いため、現在に至るまで昔ながらの街並みがよく残っている。

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[Idstein im Taunus © DFS All Rights Reserved.]


木組みの家は、しかし木造なので当然火事には弱いし、修復・保全にも大変な手間とコストがかかる。ぶっつぶして新しい建物を作った方が安上がりだと聞いたこともある。(実際、20世紀後半には、鉄筋コンクリートにとってかわってしまった例がかなりある) 放置していれば、あっという間に無残な姿をさらけ出して朽ち果ててしまうのだ。かつての東ドイツ地域には、残念ながらこのように修復されないままの古い建物が廃墟となっていることが多い。

このことからも、古い木組みの家を保存していくのには大変なコストと労力がかかっていることがわかる。すべての民家や建造物を何百年も残していくわけにもいかない。ドイツのどんなに小さな村落でもたいていは1000年くらい前には記録に残っているが、たいていの家並みは現代的な一戸建てであることがほとんどだ。

しかし石造りの教会や街を取り囲んでいた城壁や砦などは、半永久的に残るので、たとえ廃墟になっていたとしても、その千年の歴史を今に伝えている。気をつけてみていると、こうした「遺跡」がごくさりげなく、たいては人々の日常の中にごく普通に溶け込んでいるのがわかる。かつての城壁や見張り塔が民家にそのまま組み込まれて利用されていることも多い。

このように、少し目線を変えて歩いてみるわけで、あるいは大都市から少し離れて旅をするだけで、こうした宝の山に容易に巡り合えるわけだ。

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[Die Aul der Stadt Zwingenberg (Bergstraße) erbaut vor 1500 © DFS All Rights Reserved.]
by fachwerkstrasse | 2010-09-09 10:26 | なぜ木組み街道?

ご挨拶

この度、当ブログ「ドイツ木組みの家街道」を開設する運びとなりました。

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[Illmenau, auf dem Weg auf den Kickelhahn 2007 © DFS All Rights Reserved.]


これまでいろいろと見聞きしてきたものを言葉にしていく場所がほしいと思う一方で、それをどういう形で表現してゆけばよいのかがなかなか見えてきませんでした。しかし偶然に出会った「木組みの家街道」を旅し、一度ある場所でそれをご紹介させて頂いたことがヒントになったように思います。今年に入ったあたりから、ようやく表現形態が見え始めてきたのですが、この半年ほどは大半は技術的な面で暗中模索、四苦八苦していました。

しかし今般ようやく軌道にのせることができましたので、公開に踏み切ることにしました。ブログ開設やプロバイダ選定にあたり貴重な助言をくれたブログ先輩の友人には、この場を借りてお礼を申し上げます。

これで、これまで書きためた膨大な下書きと、おそらく合計1万枚以上にのぼる各地での写真をようやくお見せすることができます。また、このブログは自分にとっての学びの場でもあり、その過程を記していくものでもありますから、皆さまの忌憚なきご意見や質問などを期待しています。コメント欄にどうぞ御遠慮なく書き込んで下さい。とはいっても、不定期の更新になると思いますが、どうぞご愛顧ください。まずは数回にわたり、コンセプト紹介となりますので、どうぞよろしく。
by fachwerkstrasse | 2010-09-04 05:46 | なぜ木組み街道?