まだまだ知られざるドイツの歴史探訪の旅。偉大な芸術がうみだされた現場や歴史の舞台となった場所を訪ね歩くことで、紙の上に留まらない活きた文化を醸成してゆく地道な旅の記録です


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© 2010-2011 M.UNO

2005年よりドイツ在住
NRW→Thüringen→Hessen
と放浪の旅を経て、現在は
ドイツ・ハイデルベルク大学 
会議通訳修士課程 在籍中

日本独文学会幽霊会員
日本ヘルマン・ヘッセ友の会/
研究会幽霊会員


[翻訳] 

ヘルマン・ヘッセ:インドから
(ヘルマン・ヘッセ全集第7巻)
臨川書店(京都)

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カテゴリ:教会暦 カンタータ( 8 )

新年のカンタータ ④ BWV 16

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初演は1726年の元旦。1725年の待望節から年明けの一月中旬までの間にゲオルク・クリスティアン・レームスの詩句を元に作曲された一連のカンタータ群のうちの一曲である。


レームスはかつてのシュレジエン、今日ではポーランド領となっているレーグニッツの出身。ダルムシュタットの宮廷司書を務めた後、33歳の若さで同地で生涯を閉じた人で、1711年に件の詩句を出版している。

レームス自ら「神に捧げたもう、年間を通じて日曜や祝日に祈りを捧げるための詩句、神をたたえダルムシュタットの城内教会において早朝と正午に敬虔心を奮い立たせる」ためのものと記している。




[Georg Christian Lehms, aus "Teutschlands Galante Poetinnen
Mit Ihren sinnreichen und netten Proben", Franckfurt am Mayn, Anno 1715]



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まずもってこの通年用の詩句は、当地のカペルマイスター(宮廷楽長)クリストフ・グラウプナーのために書かれたもので、1711年の聖霊降臨祭と1712年の待節前までの間に、まとめて音楽が付されていった。

50曲に上るグラウプナーの自筆譜は今日ダルムシュタットの州立・大学図書館に収蔵されている。

ちなみに、このグラウプナーもバッハと少なからぬゆかりのあった人物である。1722年にライプチヒの市参事会がクーナウの後任のカントールとしてテレマンに声をかけたが断られた。そのテレマンの推薦でこのポストに応募したのがグラウプナーであった。


_____________[C. Graupner, Autograph der Kantate "Wir haben nicht mit Fleisch und Blut zu kämpfen"]


b0206899_8213386.jpg

ところが採用が決まったものの、ダルムシュタット宮廷のエルンスト・ルートヴィヒ方伯がグラウプナーの放出を認めず、ライプチヒ市は「しぶしぶ」バッハと契約することになった。

グラウプナーが採用されていたら、バッハのカンタータや
受難曲は今ある形では存在していなかったかもしれない。

有名な話ではあるが、今日のわれわれの視点からは、
バッハのこの冷遇ぶりをにわかには信じがたい。

しかもグラウプナーはバッハが契約書にサインした後、
バッハの能力に太鼓判を押す推薦書を市参事会宛に
書いているほどだ。



[Landgraf Ernst Ludwig von Hessen-Darmstadt.
 Gemälde aus der Werkstatt von Johann Christian Fiedler (1697-1765)]



早くも1713年にこの詩句集から2編をもとにソロカンタータを作曲していることから、当時ワイマールの宮廷
オルガニストだったバッハはこの詩句が出版されてすぐに入手したと考えられる。時節に合った詩句が手元になくてレームスの詩句集に触手を伸ばしたのか、何か別の理由でこの詩句集に思い当ったのかは知る由もないが、いずれにせよ上述のように1725年から26年にかけて、レームスの詩句集を元に6曲のカンタータが連続して作曲され、さらに同年7月と9月にもさらに2曲作曲された。

レームスは「主なる神よ、汝を我らは讃えん」のカンタータを「元旦の午後の祈り」のためだと記している。
新年とイエスの割礼・命名との関連はここからは見いだせない。むしろ神に対する賛美と神の慈悲に対する感謝に重きが置かれている。


冒頭はまず1529年ルター訳のテ・デウムで始まる。b0206899_8274333.jpg
続くレチタティーヴォがこれを受けて、神の救いや愛
静寂などを歌いあげる。すぐさま神殿が登場し、
情熱的な神への感謝の気持ちが謳われる。
これを受けて合唱付きのバスのアリアが歌われる。
やがて神の加護と平和、さらに国の存続と繁栄をも

祈る内容に移り、アルトのレティタティーヴォとなる。
続くテノールのアリアでは、作詞者オリジナルの
詩句でイエスに対する感謝の気持ちが歌われる。

レームスが作詞したのはここまでで、バッハの
カンタータでは教理問答として、1580年の
パウル・エーバーによる新年のための讃美歌
「神のみ心を讃えさせ給ふ」の最後の部分の
詩句が加わっている。

_____________________________________[Paul Eber im Ausschnitt aus seinem Epitaphs in der Stadtkirche
_________________________________________der Lutherstadt Wittenberg gemalt von Lucas Cranach d. J]



このようないきさつのカンタータ詩句に、バッハはどんな音楽をつけたのだろうか。

四行からなる冒頭のコラールはルター訳のテ・デウムドイツ語訳で、これをモテット風に処理している。
一行ごとに分割されているのは、旋律の教会旋法的な性格を考慮した結果であろう。
厳格で緊密な構成をとっているが、伝統的な交唱(アンティフォニー)を思わせるものとなっている。

歌唱の配役や歌い手の数が変化し、一番目と三番目のメロディラインはそれぞれ四声体で歌われ、
器楽は通奏低音と定旋律を補強するためのホルンのみである。それに対して二行目と四行目は旋律線に沿って弦楽器とオーボエ一本が加わり、これに第一ヴァイオリンと第一オーボエが独立した五番目の声部を奏でる。これにバスのレチタティーヴォとアリアが続く。このバスのアリアは複層的な構造となっていて、
ソロ歌唱と特徴的なトゥッティの部分とが交互に現れる。ホルンの印象的な響きも加わり、合唱と
管弦楽の処理がバスのソロ歌唱の個所では和声的に、合唱の部分は対位法的に処理される。

この壮麗なアリアに続いて、雰囲気が一転して神の加護と平和と祝福された繁栄を祈る厳かなアルトの
レチタティーヴォがくる。テノールのアリアでは声部に沿ってオブリガートのオーボエ・ダ・カッチャが単独で
低めの音で配置されている。1731年と1749年に上演された際にはヴィオラに置き換えられている。

表面的な効果を抑制した背景にはアリアの詩句の性格によるものであろう。と同時に、ヴィオラのいぶし銀のような響きが詩句の中に出てくる「宝物」や「富」を連想させるという演奏効果も考慮されたかもしれない。
実際に初期の作品でもこうした楽器編成が試みられているのだ。
最後はパウル・エーバーの新年用の讃美歌が歌われ、カンタータの幕を閉じる。

レオンハルトの録音が上がっていた。前半後半。ちなみに前半の3曲目、2:52から登場する画像は
1735年、つまりバッハがカントールとして活躍していた頃のライプチヒ・トマス教会とその周辺である。


___パウル・エーバーの家族が祈りをささげている様子。ルター派の礼拝の雰囲気が伝わってくる。_____
_____ルターが95カ条の論台を張りだしたヴィッテンベルクの城内教会の墓碑に描かれているもの_____
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[Paul Eber’s Familie im Ausschnitt aus seinem Epitaph in der Stadtkirche der Lutherstadt Wittenberg gemalt von Lucas Cranach d. J. selbstfotografiert gemeinfrei]
by fachwerkstrasse | 2011-01-07 07:41 | 教会暦 カンタータ

新年のカンタータ ③ BWV 41

1724年初夏から1725年の復活祭にかけては、いわゆる「コラール・カンタータの年」とよばれる期間に相当する。この間に40曲以上のコラール・カンタータが作曲されたが、完全に一纏まりのものとして完結はしていないと考えられている。「イエスよ、今こそ讃えられよ」は1725年の初演ということで、これもこのチクルスの所産。

カンタータ詩句は、新年のものとしてオーソドックスな作りとなっているが、作者は不明。
ここでもある新年用のコラールから引用がなされている。最初と終わりの詩句はそこからそのまま採られ、
間のレチタティーヴォやアリアには元の詩句から自由に創作されている。

まず冒頭と終曲に関しては、ヨハン・ヘルマンの1593年のコラールとみて間違いない。
14行という、いささか珍しい長めの詩形となっている。
終曲のコラールの詩句も同じものから、そのまま採られている。

しかしヘルマンのコラールが、ひとまとまりの詩行であるのに対して、そこからカンタータのために
レチタティーヴォとアリアをそれぞれ2連づつ作成しなくてはならず、長さも一致しないという厄介な問題が
生じたに違いない。しかし作詞者はこの課題をうまくやり過ごし、元のコラールの内容に沿った詩句を
見事に書きあげた。

次に中間部、まずアルトのレチタティーヴォ部分に相当する元のヘルマンのコラールの詩句はわずか2行、
ルカの福音書のイエスの割礼と命名の部分から採られたものである。これを受けてカンタータの詩句は
ヨハネの福音書の冒頭や詩篇の139編などを参考に作られた。

続くテノールのアリアでは、ヘルマンのコラールを元に信仰を維持することの重要さを訴えかけている。
これにバスのレティタティーヴォと合唱が続く。終曲のコラールはヘルマンのコラールの3番目と4番目の
詩句から採られている。

一方でバッハの自筆譜には「新年」ではなく「キリスト割礼蔡のための」と書かれている。
しかもこの自筆譜は、様々な紆余曲折を経ている。長男のウィルヘルム・フリーデマンが相続した後、
17世紀のうちにザクセンの個人蔵となり、1833年に歌手でバッハの収集家であったフランツ・ハウザーに
売却され、1904年にベルリンの国立図書館に寄贈された。

ところが数年後に何者かが、自筆譜の最後の3枚の用紙を抜き取ってしまった。そのうち一枚は第一次大戦後にザールフェルトの郷土博物館に寄贈され、現在も同博物館所蔵となっている。2枚目は紛失したかに思われたが、70年代の終わりに偶然アイゼナハで発見され、ベルリンに返却された。

1913年まで王立図書館が入っていた、ベルリンのベーベル広場(旧オペラ広場)の建物。外観から「洋服ダンス」の愛称で親しまれていた。現在はベルリン・フンボルト大学の方学部が入っており、図書館の方は1914年にウンター・デン・リンデン通りを挟んで斜め向かいにある現在の建物に移転した。
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_________[Berlin Bebelplatz 2006 © DFS All Rights Reserved]_________


こうした盗難劇は、かつては珍しくなかったようだが、長らく誰にも気づかれずにいたのは、バッハの自筆譜が大掛かりなものとなっていたこともあろう。特に冒頭の曲は213小説にものぼる後にも先にもない規模の長さで、しかも祝典的な性格を出すのに不可欠なトランペットとティンパニが加わったことで、書き込みにも膨大なスペースを要したのだ。他のコラールカンタータと同様、コラールの旋律が一行ごとに息長く歌われ、この曲の場合にはソプラノがそのほとんどを担っているが、他の声部がこの主要声部に沿って対位法的に配置されてういる。そして全体に渡ってまとまったモティーフに基づいた器楽合奏がからんでくる。

この器楽合奏はトランペットとティンパニで華やかな演奏効果を狙っているのだが、まずは合唱の開始とともに木管と弦楽器が先導し、コラールの各行が謳われるごとに、その合間を縫うように奏でられる。前半では、同じ音型でまず1行目から4行目、次に5行目から8行目のコラールが歌われる。

後半に入ると、まず「私達は静かに年を越した」の個所では、静寂の雰囲気に合わせて、拍子もテンポもガラッと変わる。こういうドラマティックな表現では、バッハ時代を先取りしていると言ってもいいだろう。すぐに活気を取り戻し、続く残りの4行ではモテット風に処理されている。ここでは器楽合奏は合唱を補強する役割を担っている。カンタータ全体をシンメトリックにまとめるためにバッハは終曲にも同様の配置を採用し、同じコラール旋律を用いている。

ブリリアントのバッハ全集にも収録されている、ロイスィンク+オランダバッハコレギウムと少年合唱団による、冒頭曲の音源はこちら

中間部では各声部のソロが交代で登場することになるわけが、最初のソプラノのアリアでは神に対する純朴な祈りの気持ちが優美な舞踏風の音楽で表現され、パストラーレ風の器楽伴奏彩りを添えている。声楽とオーボエ三本に通奏低音が密に折り重なっていて、実に心地よい響きだ。

次に短いアルトのレチタティーヴォに続いてテノールのアリアに移る。ここでは技巧的なヴィオロンチェロ・ピッコロによるソロが際立つ。陰影の付いた音色が、縦横無尽な音型で、敬虔な内容の詩句の歌唱にからみついている。アーノンクールの録音がこちらにある。

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ちなみに、ヴィオロンチェロ・ピッコロとは、バロック音楽の文献資料でたびたび言及されている楽器だが、一時は完全に忘れ去られており、現在再び注目されて復興や録音が進められている。数年前には、寺神戸亮によるバッハの無伴奏チェロ組曲の録音が話題となった。(←試聴つき:実際こうして聴くと、従来のチェロの演奏のように、無理して汗水たらしながらガーガー引き倒している感じがしない、とても無理のない響き)やはり、バロック音楽はまだまだ楽器や演奏形態そのものに研究の余地があるということだ。たかだが150年ほどの「伝統」に、聴き手も弾き手も安穏としていてはいけない。



続くバスのレチタティーヴォでは、途中に祈祷文の1節が織り込まれている。終曲のコラールは冒頭とほぼ同じ流れになっている。すなわち、コラールの各行ごとにまず金管楽器とティンパニによって、カンタータ冒頭のテーマに基づくファンファーレが入る。最後の4行については、まず最初の2行のみ一時的に三拍子になり、冒頭曲と同様に最後の2行が繰り返され、最後にトランペットとティンパニによるファンファーレが応答して曲を締めくくる。晴れやかな信念の幕開けにふさわしい、素晴らしい曲である。


[Un violoncello piccolo a cinque corde © GNU Free Documentation License]______
by fachwerkstrasse | 2011-01-06 09:13 | 教会暦 カンタータ

新年のカンタータ ② BWV 190

「主に新たな歌を歌わん」には、同名のモテットもある。
バッハがライプチヒで新年のミサのために最初に手掛けた作品である。
クリスマス・オラトリオの第4曲よりも、新年を祝うにふさわしい内容と華やかな音楽である。

初演は1724年元旦。教会暦ではイエスの割礼と命名を祝うためのものである。1730年6月25日には、アウグスブルク信仰告白の起草200周年を記念する特別ミサにおいて再演された。3日間に渡る盛大なものであったらしい。この改訂版に関しては、詩句のみが現存している。

そこからわかるのは、もともとの新年用の部分からはアリアはそのまま転用され、詩句の身が書き換えられたということである。冒頭の合唱曲と続くレチタティーヴォ付のコラールも祝典用に書き換えられた。残りのレティタティーヴォ2曲と終曲も入れ替えられている。この祝典用の詩句を担当したのは、バッハのカンタータ創作に置いてその存在を抜きにしては考えられないピカンダーである。ピカンダーが当初の新年用のカンタータ詩句も担当したのかはわかっていない。


下の写真は、アウグスブルク信仰告白の起草200周年記念の銀メダル。古銭販売サイトから採りました。表面ではザクセン公ヨハン・フリードリヒとルターが信仰告白書を手に取っている。
裏面は契約の聖櫃を掲げて行進している様子が描かれている。
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Silbermedaille 1730. (v. Vestner) auf die 200-Jahrfeier der Übergabe der Augsburger Konfession


カンタータ詩句は新年のミサのための形式則ったオーソドックスなもので、詩篇から題材をとっている。冒頭の合唱曲では『詩編』第149編1節および『詩編』第150編4節からの詩句を採用している。続く『詩編』第150編6節からの部分は、ルターのドイツ語訳によるTe Deum(テ・デウム:ラテン語によるカトリックの聖歌)に織り込まれている。

続くコラール部分も同様のドイツ語訳テ・デウムで神をたたえ感謝を捧げる詩句歌われ、その合間にレチタティーヴォで新たな年の幸福を願い前年の無病息災を感謝する内容が謳われる。次のあるとのアリアでも、神への感謝が続くが、ここの詩句があまりこなれていないことから、バッハのケーテン時代の作品からの転用ではないかとも言われている。つまり、新天地での初となる新年のカンタータを作るに当たり、当初はカンタータ全曲を持ち曲の中から転用しようとしたが、途中で方針を変えて新たに作曲をしたとも考えられるのである。

中間部、続くバスのレチタティーヴォからは、では詩句の内容が今度はイエスに向けられる。最後のテノールのレチタティーヴォでは、選帝侯やライプチヒ市参事会、教会や学校、そしてライプチヒ市民などの関係当局すべてに対する祝福を願う内容になっている。終曲のコラールは、ヨハンネス・ヘルマンの讃美歌「イエスよ、今こそたたえられよ」からの第二節が「今年は成就させ給え」の一節を皮切りに引用されている。


ところが至極残念なことに、バッハがこの詩句につけた音楽は完全には残されていないのである。冒頭の合唱と続くコラールとレチタティーヴォの2曲が欠けているのである。1730年の再演に向けた曲の再利用と改訂の際に焼失したとする説もあるが決定的ではない。

特に冒頭曲はほぼ完全に失われてしまっている。しかし、新年を祝うという目的や終曲の華やかな編成(こちらは完全な形で残っている)を考えるに、冒頭の曲も同様に祝典的な華やかな雰囲気であったろうと考えるのが妥当である。

つまり、四声体の合唱とトランペット、ティンパニに管弦楽が加わったフルオーケストラ編成ということになる。このうち残っているのは合唱部分とヴァイオリンパートのみ。しかしこの断片的な資料からも十分にこの冒頭曲の構成を推測することが可能である。すなわち、詩篇からの詩句の部分では単純な和声による朗唱から各声部の交代を伴うフーガに至る多彩なオーケストレーションが施されている。逆に合間に挿入されるテ・デウムの詩句の部分はルター派の伝統に沿ってユニゾンで歌われる。

このような事情から、この冒頭曲を今日再現するためには、残るトランペット、ティンパニ、木管楽器、ヴィオラ、通奏低音の各パートを補足する必要がある。しかしバッハが実際にどこにどのように音符を配置したのか、今日では知る由もない。

逆に2曲目の復元はそれほど問題ではない。ドイツ語訳のテ・デウムを通常の四声体で処理し、3つのレチタティーヴォ部分と組み合わせればよいのである。復元の必要がある通奏低音の基音と和声体もごくわずかである。

続くアルトのアリアはポロネーズ風の朗らかな舞踊曲で、器楽部分が主導し、リズムの刻みと曲構成もはっきりしている。しかし二重唱の方ではあまり舞踊の要素は見られない。テノールとバスの歌唱に加えてオーボエダモーレやヴァイオリンによるオブリガート、さらに通奏低音も加わる。イエスに対する信仰告白が、拍子や音程が自在に変化しながら各声部の歌唱が様々に繋ぎ合わされたり重複することで、ことさら強調される。

終曲のコラールは祝典的な要素が強く、16世紀以来の伝統に沿ってトランペットとティンパニのファンファーレが華を添えている。


さて、こうなるとこの曲の演奏に際しては、音符の解釈だけでなく、広範な音楽の知識とセンスが問われる「復元」と言う要素をも絡んでくるので、なかなかスリリングだ。ネット上には二つの音源があったので、あげておくこう。

ひとつは、バッハ・コレギウムジャパンのもの。例えは悪いが、これを聴くと、まず曲そのものに関しても、やはり偽作の疑いが濃厚な前回のBWV143とは曲のクオリティが雲泥の差であるし、演奏の方もこれが復元だとは信じがたいほど、バッハの音楽だと素直に納得できるものだと思う。リズム感や楽器の響きも素晴らしい。

もうひとつはトン・コープマンによる復元。鈴木雅明のものと比べると、祝典的な雰囲気を強調するあまり、
やや恣意的なオーケストレーションになってしまったように感じる。まぁコープマンの性格からすると、
わからなくもないのだが。。。 こちらは3曲目のアルトのアリアまでがアップされています。
by fachwerkstrasse | 2011-01-05 00:01 | 教会暦 カンタータ

新年のカンタータ ① BWV 143

カンタータ詩句や作曲様式から察するに、若いころの作品だと推察されるが、現在伝わっている自筆譜が18世紀半ばのものであることから、正確に作曲年代を特定するには至っていない。

詩句の成立は1700年より以前と推測される。詩篇146節の神に対する永遠の中世を讃えるくだりが軸となっている。これは分割されて、まず最初にテノールのレチタティーヴォ、次にバスのレチタティーヴォで歌われる。加えて詩句の源となっているのが、1601年ヤーコブ・エーベルト作の「汝平和の君主たる主イエスキリストよ」で、1682年にゴットフリート・ヴォペーリウスが出版した『新ライプツィヒ讃美歌集 Neu Leipziger Gesangbuch』に収録されている「戦いの時に置いて我らが主キリストに慈悲と救いを乞う美しき歌」である。
b0206899_8532851.jpg

________Leipziger Gesangbuch von Vopelius, 1682(c) Bachhaus Eisenach________

最初の詩句では生と死において救いの手を差し伸べるキリストを讃える内容になっているが、終曲の合唱曲ではこの先の加護と救いを乞う内容になっている。テノールのアリアでは、かなり具体的で真に迫った描写がある。17世後半、ヨーロッパはオスマン帝国の侵攻にさらされたが、ここで歌われているのが具体的にこの時代のことを指しているのかはわからない。

実は18世紀半ばにこの詩句は改訂を経ており、また19世紀のバッハ研究においては、例えばクリスマスオラトリオの第4曲が同じく新年のためのものであったことも知られていなかったなど、様々な事情が重なり、このカンタータの解釈に関しても様々な誤解が生じていた。現時点でわかっている情報や資料を突き合わせても、まだ断片的にしかこの曲の成立事情は浮かび上がってこない。

また楽曲も、当時の様式の域を出ない旋律、単調なリズムや和声の展開がみられ、リズム感の本来重視するはずの古楽器による解釈を聴いても、どうももたれた感じになってしまう。確かにこれを(たとえ若書きだったとしても)バッハの作品と呼ぶのには、違和感を感じてしまう。カンタータ全体を見渡しても、まとまりにかけている印象。その分かえって、テノールのアリア「幾千もの不幸と恐怖」だけが際立ってしまう。ただし、これは後から挿入された可能性もぬぐい去れない。以上のことから、資料面からも音楽面からも、偽作の疑いが濃い作品なのである。

偽作と言えば、バッハの代表作とも言える「あの」オルガン曲にも、依然偽作の疑いがかかっているが、あれは確かに後年のバッハの音楽を知る耳には雑な印象を受けるが、それを補って余りあるものがあると思うので(確かに技巧に走ってて、表面的な演奏効果を狙っているきらいがあるが、それも北ドイツでの体験の興奮冷めやらぬ若気の至りではないか、という音楽家諸氏のフォローも、どこか納得がいくし、微笑ましい) それと比べると、こっちのカンタータは、あまりにもこなれていなくて、自分としてはやはり偽作説に傾いてしまう。。。

そんなわけで、いまいち気分が盛り上がらないが、一応音声資料をあげておこう。
ただし、これもレオンハルトとなっているが、コメント欄に「アーノンクールじゃない?」
というツッコミが入っている。音源まで偽作の疑い濃厚だ・・・
by fachwerkstrasse | 2011-01-04 00:01 | 教会暦 カンタータ

待降節 第4主日のためのカンタータ BWV132

間にあわなかったので、これから数日かけて加筆訂正していきます(汗)

バッハ唯一の第4アドヴェントのためのカンタータは、1715年ワイマール期の作品。
ワイマール城の教会で上演された。

1714年にワイマール公国宮廷楽団の楽長に就任して以来、毎月カンタータを作曲することが
任務となっていた。しかしこれも1715年の夏に、ヨハン・エルンスト皇太子が19歳の若さで逝去
したことで、一旦中断する事となる。公は音楽をたしなみバッハとも親しくしていた。ワイマール公国は
それから3ヶ月間喪に服すこととなったのである。11月初めになって、ようやく教会での音楽が再会の
運びとなった。服喪期間はこの後まだ数カ月続くこととなるがミサでの音楽は再開されることとなった。

そして服喪明けの2番目の仕事として、この第4アドヴェントのためのカンタータが作曲された。

詩句はザロモン・フランクのもの。ヨハネの福音書の第一章からとられ、洗礼者ヨハネと
ユダヤ人達との問答ならびにキリストについての証言がテーマとなっている。

最初はソプラノのアリアから始まる。イザヤ書40章3節からの一節がパラフレーズ化されている。
すなわち新約の福音と旧約の預言を織り交ぜているわけだ。
2番目のアリアでは、洗礼者ヨハネに対する「あなたは誰だ?」の問いが歌われる。
続くレチタティーヴォでは信徒による懺悔の告白が歌われる。続くアルトのアリアでは、
罪を背負って犠牲となったイエスの死が思い起こされ、ヨハネの黙示録にもある
イエスの衣に関する問答も織り込まれている。

最後のコラールではエリザベト・クロイツィガーの「ただ神の子である主キリスト」からの一節が採用されている。
by fachwerkstrasse | 2010-12-24 23:54 | 教会暦 カンタータ

待降節 第1主日のためのカンタータ BWV36

先のBWV62にも増して、華やかで祝典的な雰囲気のこの曲。
それは、この曲が辿った複雑な作曲プロセスによるものだ。

BWV61の訳詩がありました。リンク先の情報については責任を持ちませんが、ご参考までにどうぞ。

今回の訳詩はこちら

アーノンクールの音源が上がっていました。

こちらはトーマスカントール、ギュンター・ラーミン1952年の録音

さらに、ヘレヴェッヘの第一アドヴェント用の3曲のCD 試聴のみですが…

b0206899_2313176.jpg

_______[Bad Wimpfen Hauptstraße 2010 © DFS All Rights Reserved]______


この曲の成立事情は、非常に独特かつ複雑な経緯を経ている。元来は誕生日祝いのための世俗カンタータとして作曲されたものが詩句と音楽ともに拡大・不可を繰り返して、実に5度に渡る改定を経た、いわゆる「パロディ・カンタータ」である。そのプロセスの詳細は、少々厄介なテーマなので、またの機会に譲るが、最終的にはコラール詩句に基づいてカンタータの詩句が練られ、最終稿に落ち着いた。

世俗カンタータで付加されていたレチタティーヴォ部分はすべてカットされている。また、ここでもルターの「異教徒の救い主」とフィリップ・ニコライによる「明けの明星」の讃美歌の一節が採用されている。そのため、詩句だけを見れば、ややもすると古めかしいもののように思えるが、それに対して、音楽の様相はきわめてバラエティに富んでいる。それは導入部の合唱曲と3曲のアリアが世俗カンタータとして作曲されたことによる。

導入部では合唱が和声と対位法を交互に織り交ぜ、さらに弦楽器に彩られたオーボエ・ダモーレが先導する煌びやかな器楽合奏が置かれている。当初の世俗カンタータとしての性格に、この室内楽的な編成はまさにぴったりなのだが、教会でこれを演奏するとなると音響面からいくつかの問題が生じたに違いない。バッハはこの点を考慮して、当初の意図とは裏腹に、教会カンタータへの改訂の際に、オーボエ・ダモーレを2本に増強している。

続く二重唱では厳格なコラール処理によって厳粛な雰囲気にガラッと変わる。ルターの「異教徒の救い主」のコラールが緊密な3声体のカノンで処理される。ところが次に来るテノールの歌唱とオブリガートのオーボエ・ダモーレによるアリアでは、典雅なパスピエの緩やかな舞踏のリズムで、導入部の雰囲気が再現される。そして素朴な4声体のコラールで第1部を締めくくる。
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ミサでは本来ここで説教が行われ、それに続いて、バスによる力強い華やかなアリアで、第2部が始まる。生き生きと動く第1ヴァイオリンを主体とする弦楽器が祝典的な華やかな雰囲気を醸し出している。

続いて、再び雰囲気ががらっと変わり、「異教徒の救い主」のコラールが、カルテットとして処理される。
ここでは二本のオーボエ・ダモーレと通奏低音が模倣的に処理された対位法のパートを担う一方、
テノールの歌唱は伝統的な讃美歌の歌い方を踏襲して長い音価となっている。

次のソプラノによるアリアは、ソロヴァイオリンとソプラノの歌唱が穏やかな光に包まれたような雰囲気を
醸成し、優美な旋律と弦楽器の優美な音型が交互に奏でられる。弦楽器の音型は、アリアの中間部で
おどけたようなエコー効果をももたらす。終曲では再び「異教徒の救い主」が、ここではコラールの処理は
行われずに、簡素な4声体で歌われる。
by fachwerkstrasse | 2010-12-18 23:07 | 教会暦 カンタータ

待降節 第1主日のためのカンタータ BWV62

前回 BWV61の音源資料を一部変更・追加しました。
またカンタータはやはりすべて教会暦カンタータとして、まとめて一つのカテゴリに整理することにしました。

BWV62の音源は、あまり見当たらないようです。
こちらはソースの記述がありませんが、たぶんブリリアントのバッハ全集収録の
Pieter Jan Leusink; Holland Boys Choir; Netherlands Bach Collegiumだと思われます。
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BWV62は、BWV61の作曲・初演からから10年後、トーマス教会カントールとして2年目となる1724年にライプチヒで作曲された。この年は所謂「コラールカンタータの年」とよばれ、この62番のカンタータもご多分にもれず、それが前作との決定的な違いとなっている。すなわち、カンタータのテキスト全体が待降節用のコラール(讃美歌)から成っているのだが、カンタータの最初と最後に来る詩句には手を加えず、それ以外のコラールは、レチタティーヴォないしはアリアの形にふさわしいテキストになるよう修正が施されている。

しかしその書き換えが誰の手になるのかは分かっていない。おそらくこの年にライプチヒ在住であったのだろうと推測される。そもそもこの「異教徒の救い主」のコラール詩句が、ラテン語から翻訳されたものであるわけで、そこからさらに手が加えられたことになる。その結果、ルターの翻訳そのままの部分と、18世紀に改作された部分との違いが際立っている。ルターの詩句が、素朴に神への祈りをささげているのに対し、それに挟まれた中間部分はずいぶんと熱い語り口となっている。

特に4番目のアリアなど、元の詩句が「父の似姿で、肉において勝利をおさめ、永遠なる汝神の力が我々の中で病める肉を遠ざけん」となっているのが「戦え!勝て!強き英雄よ!」と、もはや原形をまったくとどめていない。それに続くソプラノとアルトの二重唱も、元のルターの詩句からは完全に乖離してしまっている。大幅な改竄と短縮が施されているが、これをカンタータの詩句をまとめた作詞者の成果とみなすか、作曲上の都合でこうなってしまったのかは、判断の難しいところだ。
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躍動感あふれる冒頭の合唱曲から、コラールの編曲技法が冴えわたる。讃美歌の旋律が一行づつ分解され、4声体合唱のうちの一つの声部に長い音価で現れ、残り3つの声部は和声を構成して主旋律を支えるかモテットのように対位法的に配置されている。これに器楽合奏が合わさって、楽章全体をまとめ上げている。他のコラールカンタータと比較してもモテットの割合が大きい。コラールの各行ごとに模倣の手法が取られ、3行目「これに世の人はすべて驚く」では、大規模かつ象徴的な意味を担うコロラトゥーラがあったりと、かなり大胆な装飾が施されているが、コラール詩句の長さに沿ったものといえるだろう。

続く2曲目のテノールによるアリアでも、舞曲の性格が色濃く出ている。全体としては8分の3拍子のパスピエとメヌエットの中間に位置する舞曲に位置づけられるだろう。歌曲のような豊かな旋律とリズムに彩られた曲頭動機(Kopfmotiv)に導かれる典型的なスタイルだ。

短いレチタティーヴォを挟んで、今度は勇ましいバスのアリアが続くが、ファンファーレのようなユニゾン型の伴奏とコロコロと転がるような歌唱は、作曲当時の「英雄的な効果を持ったアリア」の典型である。この勇ましい曲調から一転して、ソプラノとアルトによる恍惚的な「伴奏付き叙唱(レチタティーヴォ・アコンパニャート)」でイエスの生誕の奇跡と幼子の眠る飼い葉おけへの道程が、遥か彼方の神聖な光で照らすような曲調で象徴的に描かれる。最後にもう一度、ルターがラテン語から訳したコラールが4声体で歌われて終わる。
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ところで、このカンタータは、その後1732年から35年の間に再演されたことが分かっている。そして36年にもおそらくもう一度上演されたのではないかと考えられている。バッハの自筆譜には、前作同様にミサの式次第が書き込まれているのだが、このようなメモが必要なのは就任間もない最初の数年に限られると考えるのが妥当だろう。10年間もミサの進行を諳んじていない、などということは考えにくいからだ。にも関わらず、1730年以降にもこうした書き込みが見られだ。これは一体どういうことだろう。

1736年の11月にバッハはザクセン選帝侯から「宮廷音楽家」の称号を授与された。3年間待ち望んでようやく手に入れた栄誉だった。(これの背景には、ライプチヒ市当局との軋轢や、選帝侯への根回し+ごますりのためのカンタータや後にロ短調ミサの下地となるミサ曲もあるのだが、これの詳細はまたの機会に詳しく)

そのためはるばるドレスデンにまで赴くこととなった。記録によれば12月1日の午後にドレスデンの聖母教会にて、新築のジルバーマンオルガンを2時間演奏したとある。この年の第一アドヴェントは翌2日なので、とんぼ返りでライプチヒに舞い戻るということはおよそ考えにくい。そのため、おそらくライプチヒでのカンタータの上演に際しては代役を立て、ミサの式次第を詳細に譜面に記して、この重大な任務を託したのではないだろうか。そう考えると、この年にこの曲が再演されたと考えるのも納得がいくのである。
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by fachwerkstrasse | 2010-12-17 18:38 | 教会暦 カンタータ

待降節 第1主日のためのカンタータ BWV61

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教会暦の冒頭を飾るに相応しい華麗なカンタータ。


ワイマール時代の1714年の作品である。

ワイマール城の教会でのミサのために作曲された。


当時の城は、ゲーテの意匠で再建された
現存する古典主義様式のものとは異なる。

右側がゲーテ在任当時に再建された部分、
左の塔のみがそれ以前から残る部分である。


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ニコラウス・アーノンクールのあつ~い演奏を、こちらでどうぞ♪ オーストリアのメルク修道院でのライヴだ。
こちらは、この曲が作曲された当時の「前衛性」を前面に打ち出した表現だと言えるだろう。

コープマン&ABOの演奏もあった。アーノンクールとは随分と様子が違う。
あまりコープマンらしからぬ(?)内省的な表現になっている。
バッハのほとばしる創造意欲よりは、元のルター派のコラールの伝統に重きを置いて、
表現のバランスをとっているようだ。しかし、おごそかにクリスマスを祝う温もりに満ちている。


同じく待降節 第1主日のためのBWV62ともども、ルターのコラール「異教徒の救い主が来たれり」からカンタータは始まる。これはラテン語の讃美歌をルターがドイツ語に翻訳したもので、1524年に発表された。ベースとなっているのは、マタイによる福音書21章で、イエスのエルサレム入場と救い主の到来が描かれている。マルコとルカの福音書にもほぼ同じ記述がみられる。

歌詞として採用されたのは、エルトマン・ノイマイスターの詩句。ハインリヒ・シュッツが少年時代を過ごしたヴァイセンフェルス近郊の出身で、様々な要職をこなしていたが、聖書に基づいたカンタータ用の詩句を集成したものを1714年にフランクフルトで出版した。当時そこの楽長であったテレマンに献呈されている。実は同じ年にテレマンは、カール・フィリプ・エマヌエルの代父を務めているのだ。息子が晩年に回想している通り、二人の大音楽家は実に親密な関係で、様々な情報交換をしていたことも容易に推測できる。そうでなければ、出版されたばかりのカンタータ詩句を用いることなどできなかったであろう。
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ノイマイスターのテキストには、レチタチーヴォやアリアの形で自由に創作された詩句に加えて、コラール(讃美歌)や聖書からの引用などが自由に織り込まれている。このような形式は長きに渡ってノイマイスターが新たに創出したスタイルであるとみなされてきたが、実は彼のオリジナルでもなければ、本人も特別そこにはこだわっていなかったことが判明した。元来は聖書からの引用やコラールの詩句を含まない形式を得意としており、上記のカンタータ詩句集の出版前に知られていたノイマイスターの姿は、まさにそれであった。61のカンタータのような混合形式は17世紀にまで遡り、ノイマイスターがこの形式に触れたのは1704年のことであった。

カンタータの詩句をみてみよう。Kommen(来る)というのは、カンタータ全体を通じて最も重要なキーワードである。聖書から引用した個所以外では、ほぼすべてに織り込まれている。3番目のテノールによるアリアでは、具体的に新しい年への祝福への祈りが歌われている。それに対して、続くレチタティーヴォでイエスが応える。詩句はヨハネによる黙示録3章からとられたものだ。ここで「戸を開き、中に入る」と謳われている意味は、次のソプラノによるアリアで明かされる。

締めくくりのコラールは、1599年のフィリップ・ニコライによる「明けの明星」の讃美歌から一部が取られたものである。明けの明星はイエスの象徴であり、アドヴェントに入ると街中に星の形をした灯が吊るされる他、日本でもクリスマスツリーのてっぺんに載っている星の飾りでおなじみですね。
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ではバッハの音楽はどうだろう。冒頭の合唱曲からして、ルターによる伝統的なコラールの詩句を、当時最先端の(それも中部ドイツの田舎で!)フランス風序曲の形式ならびに楽器編成で奏でるという、大胆な開始の仕方だ。30歳になったばかりの若き宮廷オルガニストの持てる力が全て発揮されている。この第一曲目は3部形式で、両端部分の、引きずるようなリズムと荘重な響きは、17世紀のフランス・オペラで国王の到着を告げるファンファーレの模倣である。当然これはイエスのエルサレム到着のイメージに結び付けられている。自ら収集した音楽形式と、そこで慣習となっている象徴的なモチーフを、カンタータの詩句に沿って効果的に用いるという、実験的な試みが早くもなされている。しかしこのような祝典的なイメージにも関わらず、調性が短調となっているのは、讃美歌の伝統を意識したものである。

作曲および初演から11年後、バッハがライプチヒに着任した最初の年に再演されたことが確認されている。バッハはその際に、ミサの式次第をオルガニストの仕事に至るまで詳細に総譜に書きとめている。実際のミサでは、カンタータの各部分を式全体の中で分散さして、説教などの間に演奏することもあるのだが、この61番のカンタータが、ライプチヒでの再演の際に、具体的にミサのどの部分で上演されたのかは分かっていない。ただし、バッハのメモを元に推測するなら、ミサの後半部分でまとめて上演された可能性が高い。

西洋音楽の百科全書と謳われるバッハのカンタータ。教会暦最初の、それも若き創作意欲あふれるこの作品からして、大バッハの面目躍如たるところだ。
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by fachwerkstrasse | 2010-12-14 23:57 | 教会暦 カンタータ