まだまだ知られざるドイツの歴史探訪の旅。偉大な芸術がうみだされた現場や歴史の舞台となった場所を訪ね歩くことで、紙の上に留まらない活きた文化を醸成してゆく地道な旅の記録です


by fachwerkstrasse

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© 2010-2011 M.UNO

2005年よりドイツ在住
NRW→Thüringen→Hessen
と放浪の旅を経て、現在は
ドイツ・ハイデルベルク大学 
会議通訳修士課程 在籍中

日本独文学会幽霊会員
日本ヘルマン・ヘッセ友の会/
研究会幽霊会員


[翻訳] 

ヘルマン・ヘッセ:インドから
(ヘルマン・ヘッセ全集第7巻)
臨川書店(京都)

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カテゴリ:J.S.バッハ 雑感( 1 )

ヨハン・セバスチャン・バッハ

自分一人で勝手にカンタータ企画をぶち上げた手前、これを機にバッハについて、今現在考えていることを
まとめておきたい。なぜなら、決してバッハを、ただ単に「好きだ」と思っているわけではないからだ。

__________バッハの生誕地アイゼナハのバッハ博物館前に立つ銅像__________
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________[Eisenach Frauenplan 2005 © DFS All Rights Reserved]________

磯山雅氏が「バッハばかりは、趣味で云々できる次元を超えたところに達した人である」と著書の中で
述べておられたが、まったく同感である。(磯山雅(2000)「J・S・バッハ」講談社現代新書 20版 pp. 9)
おそらくバッハに何らかの形で携わっている方々は、プロアマ問わず同じ思いだろうし、知れば知るほど、
弾けば弾くほど、分析すれば分析するほど、聴けば聴くほど、確信は強まるばかりである。

自分の率直な思いとしては「好きだなんて、おこがましい」。
好きな作曲家を挙げろと言われて、バッハなどとは口が裂けても言えない。

テレマンもシャルパンティエも、ショパンもブラームスも、ラヴェルやシェックやマルタン、それにトゥービンやラウタバーラやペルトも「好き」で構わないと思う。(それに正直なところ、僕はブリティッシュ・ロックと80年代の音壁サウンドの方がもっと好きだ)しかしバッハは自分の直感や好みに関わりなく、音楽という領域を飛び越えて、人間が必要としているものをすべて内包している。だからうわべだけの印象で判断するのが憚られる、そんな存在なのだ。野菜が嫌いでも、ビタミンを取らないと病気になってしまうようなものだ。

_________________アイゼナハのバッハ博物館________________
b0206899_23121478.jpg

_________[Eisenach Bachhaus 2005 © DFS All Rights Reserved]________

しかしそれは、バッハを娯楽として楽しんではいけない、ということではない。

むしろ、バッハはジャズにもなれば、ハードロックのコード進行にも採用されていたりするが
それはバッハが時代や様式の制約を超えて、唯一無二のところまで音楽を高めたからに他ならない。
どのような形態であれ、バッハのアイデアを基にすると、第一級のものに仕上がってしまうのである。

それは、アインシュタインが相対性理論を「発見」したように、古今東西を問わず
およそ音楽というものの究極の姿が、バッハによって明らかにされたからなのだ。


ジャック・ルーシエ・トリオ 2009年のハイデルベルク公演にて___________
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ジャック・ルーシエ・トリオ 
1988年2月のライヴ

トッカータとフーガ ニ短調 BWV565』
『イタリア協奏曲』
第一楽章  
第二楽章 アダージョ 
第三楽章 プレスト

チェンバロによるイタリア協奏曲
ミケランジェリ43年の録音

ウクライナ出身のピアニスト、
ボリス・ブロッホ演奏
ルガンスキー19歳の時の第3楽章も痛快

ディープ・パープル『ハイウェイ・スター1972年 コペンハーゲンライヴ

ディープ・パープル『バーン
1974年 カリフォルニア・ジャム

[Le Trio Play Bach à Heidelberg 2009 © DFS All Rights Reserved]___________

バッハが宗教だから、駄目だという人もいる。その気持ちも、もちろん分からなくもないのだが、バッハが
キリスト教の手先だとか、受難曲やカンタータが一種の宗教勧誘みたいなものだという理解でバッハの音楽
を拒絶しているとしたら、それはまことにもったいない話だと思う。同様に、宗教音楽だからという理由で、
文科省検定済の教科書に「小フーガト短調」は載っていても、マタイ受難曲が載ることはない。
しかしそれでは、レーヴェンブロイだけを飲んでドイツビールを分かったような気になるのと一緒だ。

確かにコンテクストを理解するという意味では、キリスト教の知識は欠かせない。
しかし、個々人の思想信条にかかわりなく、歴史・文化・政治を理解する上で宗教はどの道避けては
通れないのだし、その意味でははなから毛嫌いしていたのでは、世俗の事柄や現在進行中の出来事や
時事問題の理解にも支障をきたしてしまう。だから、あらゆる宗教を「学ぶ」ことは必要だが「信じる」必要は
全くない、そう思っている。(自分はクリスチャンではありません、念のため。ただの惰性的仏教徒です)

だから信仰心などなくても、バッハの音楽は理解できるものだし、場合によっては信者として日々の礼拝の中でバッハの音楽に対峙してきた人よりも、音楽にのみ目を向けている人の方が、バッハの神髄により近づいている、ということもありえるだろう。逆に慣習としての宗教の枠内にバッハの理解を限定するのも、バッハを宗教音楽だからと言って敬遠するのと同じくらい、もったいないことなのだ。

____________バッハが洗礼を受けた、アイゼナハのゲオルク教会___________
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________[Eisenach Georgkirche 2010 © DFS All Rights Reserved]________
by fachwerkstrasse | 2010-12-16 23:55 | J.S.バッハ 雑感