まだまだ知られざるドイツの歴史探訪の旅。偉大な芸術がうみだされた現場や歴史の舞台となった場所を訪ね歩くことで、紙の上に留まらない活きた文化を醸成してゆく地道な旅の記録です


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© 2010-2011 M.UNO

2005年よりドイツ在住
NRW→Thüringen→Hessen
と放浪の旅を経て、現在は
ドイツ・ハイデルベルク大学 
会議通訳修士課程 在籍中

日本独文学会幽霊会員
日本ヘルマン・ヘッセ友の会/
研究会幽霊会員


[翻訳] 

ヘルマン・ヘッセ:インドから
(ヘルマン・ヘッセ全集第7巻)
臨川書店(京都)

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カテゴリ:クリスマス( 13 )

公現祭 クリスマス・オラトリオ第6部

毎年クリスマスシーズンに聴き慣れてきたこの曲も、実は正月気分すら過ぎ去った後のこの時期のためのものだった。現在はドイツでもクリスマスを祝うのは24日と25日だが、本来のキリスト教上の暦は、25日の聖夜からこの日までが降誕節なのである。公現祭(Epiphanias)とは、読んで字のごとく、神が人としてのキリストの姿で現前したことを記念するものであり、当然暦の中でも非常に重要な位置を占めている。この第6部がとりわけ勇壮で華やかな気分に満ちているのも、そのためだろう。

シュライヤーの指揮でどうぞ。

初演は1735年1月6日、午前中にトーマス教会、午後にニコライ教会で上演された。

冒頭のカンタータ詩句「主よ、驕れる敵どもが息巻くとも」は、一方ではこの公現祭の主旨に沿ったものだが、他方ではまたこの曲の成立事情ともかかわってくる。公現祭出本来取り扱われるべき東方の三賢人の物語は、ここでは最後に触れられるのみである。なぜならこれはすでに第5部に出てくるからである。そしてマタイの福音書2章からの引用「ヘロデ王は3賢人をひそかに呼びつけ…云々」がレチタティーヴォで歌われる。カンタータ全体の中では3賢人がヘロデ王の依頼を受けて幼子イエスを見つけ出し、帰りは周り道をして帰還する一連の物語が謳われる。

残りの5つのカンタータと同様に、ここでもアリアや冒頭の合唱曲がパロディである。ただしレチタティーヴォ部分もパロディであるのが、唯一異なる点である。つまり同様に6曲からなる教会カンタータ全体をごっそり転用したというわけだ。このカンタータは現存しておらず、1734年に作曲されたミカエル祭のためのカンタータではないかと推測されている。ここから音楽だけでなく詩句の一部も転用された可能性がある。

クリスマス・オラトリオは世俗カンタータからのパロディ作品なのではあるが、別な見方をすればバッハが書きためた中でも選りすぐりの作品を、さらに6曲のチクルスという統一的なコンセプトのもとに、さらに練りなおした集大成的なものともいえるだろう。実際、絢爛豪華な曲が結集されたことで、クリスマスにふさわしい華やかな雰囲気満載となっている。とりあえず一年、教会カンタータを巡ってみれば、また新たな発見があるかもしれない。
by fachwerkstrasse | 2011-01-06 23:47 | クリスマス

新年後第1主日 クリスマス・オラトリオ第5部

オラトリオの第5部は、新年の最初の日曜日のためのものとなっているが、暦の関係上、毎年該当する曜日があるわけではない。初演は1735年の1月2日であった(つまり、今年は当時と同じ暦ということになる)場所はニコライ教会。

シュライヤーの演奏でどうぞ。

慣例に反して、マタイの福音書2章のエジプトへの脱出ではなく、同じ聖書の個所から東方の3賢人のくだりが引用されている。この一節が2つに分割され、後半部分は続く第6部へと受け継がれる。

第5部の詩句の白眉は、神を讃える内容の冒頭の合唱曲だ。これに引き続いて、聖書からの引用がまずレチタティーヴォで謳われ、続いて新たに創作された詩句に挟まれた合唱部分に受け継がれる。4番目のコラールはゲオルク・ヴァイッセルの讃美歌「今や愛しき魂よ、今こそその時だ」の5番からの援用である。次のバスによるアリアもパロディで、原曲は1734年のザクセン選帝侯をたたえるための世俗カンタータである。次に再びレチタティーヴォで、ヘロデ王のメシアに対する恐れに対する注釈がなされる。終曲のコラールは、ヨハン・フランクの讃美歌「汝星達よ、汝虚空よ」からのものである。
by fachwerkstrasse | 2011-01-02 22:55 | クリスマス

新年(割礼祭) クリスマス・オラトリオ第四部

あけましておめでとうございます。

昨年始まったこのブログも、おかげさまで一定数の読者の方にお越し頂き、私としても人目に触れる形で
書き続けることで、いろいろな発見に至ることができました。この場を借りて感謝を申し上げます。
いろいろと至らない点や、間違い・誤解などあるかと存じますが、どうかその際にはご教示、叱咤激励いただければ幸いに存じます。

年末は何かと用事が重なり、結局クリスマス・オラトリオだけで手いっぱいとなってしまいました。
なので、残りの教会カンタータは今年(つまり次の教会暦以降)の楽しみに取っておくことにしました。
今後の教会暦カンタータも、様子を見ながら進めていきたいと思っています。
おそらく、作曲年代順に、毎年一曲づつ、つまり数年かけてやっていくことになるかもしれません。

新年は、あえて今の日本の暦にも、ドイツでの習慣にも抗って、バッハでスタートしたいと思います。

今日ではアドヴェント時期にまとめて演奏されるクリスマス・オラトリオだが、後半の3曲は本来なら新年の
ミサで演奏されるべきものであった。近年でこれをやったのは、アーノンクールくらいではないだろうか。

シュライヤーの指揮はこちら

初演は1735年、オリジナル譜の記述によれば、早朝にトーマス教会で、午後にニコライ教会で演奏されたとある。新年というのは、イエスの割礼と命名を祝う暦なのだが、これについて言及されているのは、ルカの福音書の2章だけである。バッハ当時の新年用のカンタータ用の伝統的な詩句では、イエスの名の象徴的力と新しい年への希望が謳われている。この点は特にコラール部分で重視されており、ヨハン・リスト1642年発表のものがここで援用されている。コラール付きのバスのレチタティーヴォ部分では「イエスの歌」の下にそっとさしはさまれるようにコラールがおかれているし、最後のコラールは新年の讃美歌からのコラール「助けたもう、主家すよ、成就せんことを」の25番である。
by fachwerkstrasse | 2011-01-01 23:41 | クリスマス

降誕祭第3日 クリスマス・オラトリオ第三部

初演は1734年12月27日ニコライ教会、トーマス教会では再演されていない。この第三部のカンタータの成立過程もも、他の5曲と同様に一筋縄ではいかない。しかし、それがまさにバッハの芸術の豊かさを辿る道筋でもあるのだ。

シュライヤーの指揮。しかし、中間部がカットされている。
聖書からの引用「そして彼らは急いでゆき」から、アルトのアリアとレチタティーヴォ、コラール、
そして聖書からの引用「そして羊飼いたちは戻り」までをごっそりすっ飛ばしている。なぜ??

本来なら降誕祭2日目用であるはずのルカの福音書2章からの引用が3つの部分に分散して用いられ、それぞれにコラール詩句が対応している。物語の筋道を立てたり説明を加えたりする格好で、冒頭の詩句にそれぞれ一組のレチタティーヴォとアリアがあてがわれている。

今回も新たに作曲されたのは福音史家の詩句とレチタティーヴォとコラール詩句。合唱曲は1733年に作曲された、ザクセン選帝侯妃誕生日のための世俗カンタータからの転用である。しかしここでは、クリスマス用に新たに採用された詩句が、冒頭を飾るのにふさわしい内容となっているのに対して、音楽の方はむしろ終曲の方にふさわしい性格となっている。

しかしバッハとしては、おそらくここまでのカンタータ3曲の流れと調性の配置を考えて、この合唱曲を最後に繰り返したのだと考えられる。中間部のバスとソプラノの二重唱のアリアは、1733年のヘラクレス・カンタータからの転用である。原曲はヘ長調で、ヘラクレスがあると、(アレゴリーとしての)忍耐がテノールで、オブリガートのヴァイオリン2つが伴奏している。これがイ長調になり、ソプラノとバスの歌唱となり、オーボエ・ダモーレ2本の伴奏となっている。

次のアルトによるアリアも、おそらくパロディであると考えられている。
最後のコラール詩句は、クリストフ・ルンゲの讃美歌「恐れと苦しみを」から採られたもの。
最後に冒頭の合唱曲が繰り返されて終わる。
by fachwerkstrasse | 2010-12-27 23:58 | クリスマス

降誕祭第2日 クリスマス・オラトリオ第二部

こちらの初演は1734年12月26日の早朝トーマス教会にて。午後にニコライ教会でも再演された。
元となったエピソードは、ルカの福音書の第二章。
羊飼いたちがベツレヘムの飼い葉おけの下にやってきたくだりである。
本来降誕祭第1日用であったテキストが割り振られているのは、前回述べた通り。

今回もまずはシュライヤーの指揮でどうぞ。

福音史家のテクストが4つの部分に分かれ様々な長さで朗誦され、それにコラールが応唱ないし新たに作詞されたテクストに基づくレチタティーヴォかアリアで内容が補足される。天使が登場する箇所は、ヨハン・リスト作の讃美歌「弱き精神よ、奮い立て」の9番で「出でよ、美しき朝焼けの光よ」の力強い歌いだし。かいばおけを指す下りは、パウル・ゲルハルトの讃美歌「見よ、見よ、何たる奇跡か」の8番で「見るがよい、そこの暗い厩におられる」の歌い出しだ。カンタータの最後を締めくくるコラールも、同じくゲルハルト作の
「汝に歌わん、イマヌエルよ」の2番である。

アリア2つを除いて、福音史家のレチタティーヴォに次いで、ソプラノに移行された受胎告知とそれに続く緻密な天使の合唱、3つのバスによるレチタティーヴォ、コラールとなど、声楽部分は新たに作曲されたものだ。

2つのアリアは世俗カンタータからの転用だ。フルートのオブリガート付のテノールのアリアは1733年の女王カンタータからで、原曲では、このメヌエットのような舞曲に近い楽章はアルトとオーボエ・ダモーレによる編成で、芸術の女神パラスアテーネが歌われている。同様に「眠れ、わが愛しき子よ」のアリアも、1733年のヘラクレス・カンタータからのもので、原曲ではソプラノで弦楽器のみの編成となっている。

また、この第二部のカンタータでとっぴつすべきは、声楽のない冒頭のト長調のシンフォニアだろう。羊飼いの集う夜の情景と天使のお告げを予感させる、内省的な美しい曲だ。ほとんど写実的といってもいいような、バイオリンとフルートによる天使の安らぎに満ちた音楽は、完全性を象徴する8分の12拍子で、これがまず羊飼いのショームhttp://de.wikipedia.org/wiki/Schalmeiのリズミカルな動きと交代する。これらが光と影の交代が進みながらかみ合ってゆき、合奏部分が最終的には見事な8声部に統合してゆく。前例のない見事な音楽だ。

このシンフォニアの最も秀逸な演奏は、実はルネ・ヤーコブスのもの。
僕はこれを聞いて、初めてこれが「夜の音楽、幼子を優しく見守る、他の5曲の祝祭的な
雰囲気とは一線を画した特別な曲なのだということを、初めて認識した。
by fachwerkstrasse | 2010-12-26 15:01 | クリスマス

降誕祭第1日 クリスマス・オラトリオ第一部

降誕祭(所謂クリスマス)は25日から3日間続く。従って現在でもメインのお祝いは25日だ。

そして、この降誕祭のために作曲された教会カンタータは、25日が4曲、26日が3曲、27日が2曲だ。3日連続で、これら9曲をやっつけていくことはかなり厳しいので、とりあえずクリスマス・オラトリオでお茶を濁すことにし、公現祭までの間の残りの日を使って、なんとか消化するようにしたい。

往年の名テノール、ペーター・シュライヤーの指揮する2005年の映像があった。いずれ詳しくここで書こうと思っているが、僕は指揮者としてのシュライヤーのバッハ解釈に非常に共感を覚えている。一つには、日進月歩のバッハ解釈をきちんとおさえていること、そして(にも拘らず?)彼の「歌心」が声楽パートだけでなく、器楽合奏全体にも生き生きと息づいているからである。

しかも、指揮もしながら福音史家も務めるという離れ業… ベテランだからできるんだろうな、きっと。
しかし、確かこの年に「歌手稼業引退ツアー」を行っているわけで、さすがに声がちょっと厳しいですね。。。
実際に、しかも教会で聴いたらそれほど気にはならないのでしょうが。
今も指揮と歌を兼ねてやっているのかしら?

86年から87年にかけての録音も大変素晴らしいが、この映像では彼の解釈がさらに進化していることをうかがわせる。初めて聴く人にも安心してお勧めできる演奏だと思う。

さて、25日のための第一部は1734年の12月25日の聖夜に初演された。場所はライプチヒのニコライ教会

それまでの個々のカンタータではなく、教会暦の幕開けとなる、3日間の降誕祭をひとくくりにし、さらに新年から公現祭までの合計6日間までをもセットにしようとする壮大な試みの、これがその始まりである。

このような連作カンタータの例としては、バッハ自身の所謂「コラール・カンタータの年」の他にも、リューベックの「音楽の夕べ」や、一連の受難曲としてのカンタータやオラトリオが17世紀の終わりから特にゴータ城でシリーズとして上演された記録が残っていることなどが挙げられる。

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__________[Marburg Markt 2007 © DFS All Rights Reserved]________


バッハが、このクリスマス・オラトリオを当初から連作として構想を練っていたのかについては分かっていない。自筆譜で「第何部」という書き込みが見られるのは第三部からなのである。さしあたり、この点について作曲者自身が保留にしていた理由は1734年の初版を見ると分かる。その表紙には、はっきりと「聖夜に渡って、ライプチヒのニコライ・トーマス両教会において演奏されたオラトリウム」と記されているのである。

しかし個々のカンタータの題目を見てみると、シリーズとして意識して上演されていたのかは疑わしくなる。というのも、当時のライプチヒでの習慣として、教会音楽の上演はニコライ・トーマス両教会を行き来して行われていたことから、ニコライ教会では一部、三部、五部を午前のミサで上演し、残りは降誕祭第2日、新年、公現祭の1月6日の夕方のミサで上演、逆にトーマス教会では一部、二部、四部、六部のみが俎上に上った。

こうした事情を考えると、キリストの生誕から東方三賢人までの物語を連作カンタータとして描くというコンセプトを抱いてはいたものの、バッハはそれが実際に一度に上演可能なものだとは考えていなかったことになる。そのため、6部の連作カンタータの完成までには、構想を温めて時間をかけたと考えるのが妥当なところだが、具体的に個々のカンタータを作るにあたって、どこまで全体を見据えていたのかも、今となってはわからない。

前述の通り、上演に際してはニコライ教会の方が優先されていたに加え、福音の物語がどのように扱われていたのかについても、いくつかの疑問点が残る。本来なら降誕祭第1日のためのテクストをバッハは第一部と第二部に振り分け、第2日目のためのテクストを第三部に配置しているからである。同様に5部と6部に関しても、本来入るはずの、ヘロデ王による虐殺を逃れるためエジプトに移った件がごっそり抜けている。また1734年の暮は、クリスマスの後ではなく、新年と公現祭の間に日曜日があったという事情もあったことにも触れておこう。

このクリスマス・オラトリオも、それ以前の世俗カンタータの音楽を再利用し、詩句をクリスマス用に改めて作られている。いわゆるパロディ手法と呼ばれるやり方である。要するに、音楽を書く時点では「イエス様のご誕生をお祝いして」というつもりでは書いていなかったことになる。それどころか「そういえば、前に祝典的な華やかな曲を書いたけど、あれクリスマスにも持って来いだよなぁ」というわけで、これは真面目な信者の方々には、にわかには受け入れがたい事実だったらしい。

どうにかこれを、バッハのあつい信仰心のなせる技という結論で落ち着かせるべく、19世紀末にはいろいろな解釈が試みられたらしい。曰く「世俗音楽といえども、バッハの音楽はおよそ世俗的とは言い難いものであった(=故に、教会音楽への転用が可能であった)」 などなど。シュヴァイツァーも「詩句だけ無理やり入れ替えたことで、音楽と言葉がちぐはぐになっている」と断じている始末。

しかし実際には、台本作者と緊密に協力しながら、実に念入りに改作を行っていたことが、後の研究で判明している。つまりあくまでバッハの「音楽」が偉大なのであり、それゆえにどんなテキストでも見事に当てはまってしまうのである。1969年になってルートヴィヒ・フィンシャーはようやっと「バッハの音楽作品の偉大さはパロディ改作ができることを前提としているところにある」と述べている。このあたりから、ようやく「敬虔なプロテスタント信仰=バッハの音楽の偉大さ」という単純な呪縛から、バッハ解釈が解き放たれてきたといえるだろう。

第一部冒頭の、とても華やかな、これ以上にクリスマスの華やかな雰囲気に似つかわしい音楽があるだろうかと思わせる合唱曲は、カンタータ『太鼓よ轟け、ラッパよ響け』BWV214のパロディである。

その名の通り、ティンパニのソロの導入と管楽器の応答に続いて、トランペットが高らかにクリスマスの到来を祝うファンファーレを奏でる。中間部のシオンのアリアは『岐路に立つヘラクレス』BWV213の改作。

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_______[Marburg Elisabethkirche 2008 © DFS All Rights Reserved]______
by fachwerkstrasse | 2010-12-25 23:57 | クリスマス

ドイツ文学初のクリスマスツリー

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アドヴェントに入って以降、ヴェッツラーの街からは
しばらく離れてしまっているが、クリスマスツリーが
初めてドイツ文学の中で言及されるのが、
実は、この「若きウェルテルの悩み」なのである。

ヴェッツラー(とは一言も書かれていないが)に
到着してから一年半後の年の暮れ。
家族ぐるみで親しく付き合っていたアルベルトと
ロッテ夫妻。いったんは街を離れた後も、
ウェルテルの思いは断ち切れず、この頃になると
もはや人格にも支障をきたし始めてくる。

そして、物語の冒頭、春の自然を満喫しながら
すでにこの時に口にしていた「肉体という牢獄」からの
解放を実現する決意を固めるのだ。



[Michelstadt Marktplatz 2010 © DFS All Rights Reserved]_______________


12月20日がこの年の第4アドヴェントということになっているが、この日付の手紙が引用される
あたりから、物語の緊張度は一気に高まる。その日の夕方、ウェルテルは再びロッテを訪れる。
ロッテは、子供たち(弟と妹達)へのプレゼントを整理しているところだった。

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現在でも、クリスマスには老若男女問わず、各人が一人一人のために贈り物をする。遠く離れていても、24日の夜には家族や親せきで集まるものなので、そのためにプレゼントを事前に用意しておかなくてはならない。相手が何をもらったら喜ぶだろうとか、かなり入念に考えて、しかも秘密裏に準備して持参しなくてはならないので、なかなか大変だ。どんなに不況でもクリスマス商戦だけは衰えることはない。持参したプレゼントは、あらかじめクリスマスツリーの下に集められる。きれいにパッキングされたプレゼントと、飾り付けられたツリーは、なかなか壮観だ。そして、夜にプレゼント交換のような形で、一人ひとりが一人ひとりに手渡す。とても心温まる瞬間だ。


_[Andersens Märchen, 1872, Ludwig Richter und Fliegende Blätter, Nr.810 & Nr.1120]


さて、冒頭の悲劇に戻ろう。すでに収拾のつかなくなった混乱状態のウェルテルから距離を取るべく、
ロッテは必死にふるまっているのだがウェルテルの溢れ出る感情は止まらない。

子供たちはさぞかし喜ぶだろうね、とか、自分が子供の時には、ドアを開けると目の前にろうそくやお菓子や
リンゴできれいに飾られたツリーが現れて、それはもう天にも昇るような気持ちだった、などとまくしたてる。
笑顔の下に困惑を隠しながら「もうちょっと空気を読んで下さいな」と、ロッテはぴしゃりとはねつける。

そして、木曜日のクリスマス・イブまでの間は、もう会うべきではない、と一時的な出入り禁止を言い渡す。
しかしウェルテルはこの言葉に過敏に反応し、もうあなたには会わないと、すなわち死ぬつもりであることを
あからさまにほのめかす。ついにウェルテルは絶望のどん底に陥り、蟄居した後、泣き腫らして、
翌朝(21日に)、最後の手紙をしたためる。


一方でロッテも、ウェルテルを冷たく突き放した後で、自分がどんな心境に陥っているかを自覚し、戸惑う。
しかし晩にウェルテルが約束を破って、旦那の留守に訪ねてくると、またもや激しく動揺する。
そして、ウェルテルは自ら訳したオシアンの詩を朗読する。感極まった二人は、接吻をかわし、
これが最後とロッテは最後通牒をつきける。部屋に引きこもったロッテに別れを告げて、
ウェルテルはみぞれの降る冬の夜、街の外を狂ったように駆け巡る。

翌朝22日の早朝、ウェルテルが情熱的な、ほとんど狂気の沙汰とでも言うべき、ロッテ宛の別れの手紙を
したためているのを下僕が目撃している。十一時頃、ウェルテルはアルベルトにピストルを貸してもらえるよう
頼む紙切れを使いによこす。はたして、受け取ったお目当てのものがロッテが手渡したピストルだと聞いて
ウェルテルは狂喜する。その日の夜、ウェルテルはさらに身辺整理を行って、ヴィルヘルムとアルベルト
すなわち男連中宛に別れの手紙をさらにしたためる。ここで完全に決心が着いたというべきか。

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______[aus: Dieter Borchmeyer: »DuMont Schnellkurs Goethe« 2005]______


そして22日の夜、ウェルテルはこめかみをピストルで撃ち抜く。
翌朝23日、下僕が、瀕死のウェルテルを発見。正午に息を引き取る。
夜の11時に埋葬される。アルベルトとロッテは、精神的に危機的な状況だ。

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______[Goethes Motto-Verse zur zweiten Auflage des Werther 1775]______

物語はここで終わるが、翌24日はクリスマスイブ。この日までは来てはならぬと言われていた日、
一家で子供たちとともに、幸福な日を過ごすはずだった日。それが、なんたる聖夜となったことか!

それに、最後に異様に印象的に残る「聖職者は同行しなかった」との、締めくくりの一節。
これはゲーテの汎神論ならびに教会という組織に対する反感を知らなければ、ただ葬列の様子を淡々と
描写しているに過ぎないように思える。しかしこの一節には宗教に頼らず、慣習化、形骸化したキリスト教の
手は借りずに、魂を肉体から解放し、真の自由を得たのだとする、ゲーテの熱い思いが込められている。

これを考えると、クリスマスの季節とクリスマス・ツリーという幸福の象徴と、自殺という悲劇的なモチーフの
対比が、実に効果的に行われていることがわかる。自殺をするタイミングとなる節目、そして自らの肉体だけ
でなく、本来なら人々が最も幸せな一時を過ごすはずのクリスマスをも見事に粉砕したウェルテルの自殺。
そして聖職者の手を借りずにあの世に旅だった悲劇の主人公。クリスマスを宗教的というよりは、幸福な
市民生活の枠内での慣習的なコンテクストで用いており、ウェルテルとロッテの家族にもたらした冷酷な
悲劇性をより一層高めている。
by fachwerkstrasse | 2010-12-23 23:56 | クリスマス

待降節 第4主日 & ミヒェルシュタットのクリスマス市

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早いもので、もうアドヴェントも、はや最後の4回目。
あとはクリスマスを待つのみだ。

今回は、あまり人の出が多くなく、しかも
雰囲気満点のクリスマス市をご紹介したい。

フランクフルトの南、ダルムシュタットからさらに南へ
ハイデルベルク、東はマイン川の方にかけて広がる
オーデンヴァルト(オーデンの森)は、温暖な気候と
風光明媚な土地柄で、保養地として人気が高い。

このオーデンヴァルトの中に佇むミヒェルシュタットは、
この地方でももっとも古い街の一つだ。木組み街道にも
リストアップされており、古き良き中世以来の面影を残す
小さな街。いずれ、ここも木組みカテゴリで
じっくりと取り上げていきたい。


____________[Michelstadt Rathausgäßchen 2010 © DFS All Rights Reserved]

フランクフルトとハーナウから南に向かって、エーバーバッハまで伸びている田舎路線の駅があるので、
鉄道でも訪問できる。フランクフルトからは本数は少ないが直通の電車も出ているし、途中で乗り換えや
ハーナウ経由などにすれば、本数も増える。ハイデルベルクからは、ネッカー川沿いのSバーンでエーバーバッハまで行き、そこで逆にフランクフルトに向かうオーデンバルト鉄道に乗り換えて、一時間ちょっと。

古い街並みを観光名物にしているとはいえ、大都市から離れているため、あまり観光客が大挙して押し寄せることはない。こういう田舎町だと、たいていアドヴェント中の週末にしかクリスマス市を開催しないことがあるが、ここは毎日営業している。立地や街の大きさを考えると少々意外な気もするが、週末でもほどよい人の出で、平日だと地元民がぽつぽつをそぞろ歩いている程度なので、のんびりと落ち着くことができる。毎日20時までグリューヴァインや民芸品などの屋台がやっている。

この街のマルクト広場と、市庁舎のアンサンブルはドイツでも特に有名で、
イルミネーションに彩られ雪に覆われた広場の光景は、まさに芸術品。
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_______[Michelstadt Marktplatz 2010 © DFS All Rights Reserved]________

帰りは電車ではなく、バスでエーバーバッハまで戻る接続。しかし雪のためか、バスは15分遅れで到着。
エーバーバッハでの乗り換え時間はわずか10分ほどしかない。果たして間に合うのだろうか?

路線バスなので、一旦市内を周回した後、隣町のエアバッハを抜け、バスは一面真っ暗な道路を
ひたすら走ってゆく。頼りになるのはフロントライトに照らし出される雪化粧の景色の断片だけだ。

ときおり、木組み建築のある名前も知らない小さな村や、原っぱの真ん中の何もない所も通過してゆく。
丘の上に、ライトアップされた立派な古城址もあった。またライトに照らし出された中に、ピンポイントで浮かび
上がっただけなので、その全貌は掴めなかったが、100年程前とおぼしき巨大な煉瓦造りの橋脚もみえた。

途中、カーブの度に停車するノロノロ運転の車がいて、ますますイライラが募る。
また、ある地点では道路の状態が悪く、激しい音を立ててバウンディングすることもあった。

もう一人、同じ電車を目指しているおばさんがいて、運転手としきりに話している。

「いつも電車はだいたい時間通りに来るかね?」 - 「そうねぇ、ここの路線はめったに遅延しないわね」

夜なので、一応その辺のことは考えてくれているようだ。

はたして、暗い山道を抜けてネッカー川に出た時には、ほっとした。発車までまだ7分ほどある。
川沿いをしばらく走り、エーバーバッハの旧市街を抜けて駅まで向かうが、こういう時は一秒一秒が長い。
なんとか乗り換え予定列車の発車数分前にエーバーバッハの駅に到着。
おばさんと、ダッシュでホームに向かったが、無事に間に合ったようだ。
二人で「間にあった、ついてたわね」と話をする余裕もあったほど。

聞けばこのおばさん、なんとプフォルツハイムまで行くとかで、この電車を逃したら、もう接続がないところ。
Sバーン自体は30分おきに走っているので、僕はこれを逃してもそれほど問題ではなかったが、見渡す限り
一面雪だらけの、冷たい吹きっ晒しのホームで30分電車を待つのは、さすがにつらい。無茶な運転をせず、
しかもギリで接続の電車に間に合わせてくれた、サンタクロースのようなおじちゃんの運転手に感謝だ。

旅は道連れ、世は情け。こういうことがあるから、道中は常に気が抜けない。
しかしまた、これが旅の醍醐味でもあったりするから、おもしろい。
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________[Michelstadt Rathaus 2010 © DFS All Rights Reserved]________
by fachwerkstrasse | 2010-12-19 23:55 | クリスマス

待降節 第3主日 & ハイデルベルクのクリスマス市

ここ2週間ほどは体力的にも精神的にもかなりきつくて、今学期最大の山場だったように思う。
なんとか、今週中にカンタータ3つをやっつけてしまわないと…

さて、ドイツ有数の観光地ハイデルベルクでも、クリスマス市がにぎわいを見せている。
目抜き通りを軸にして、東西に細長くのびた町の形に沿って、6か所もの市が立っている。

まずは、市電・バスのターミナルになっているビスマルク広場から。デパートのイルミネーションも目を引く。
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______[Heidelberg Bismarckplatz 2010 © DFS All Rights Reserved]______

次に、かつて自然科学系の学部があったAnatomiegarten(解剖学科庭園)
隣接するキャンパスの中にまで、クレープの甘いにおいが漂ってくるのが憎い・・・
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______[Heidelberg Anatomiegarten 2010 © DFS All Rights Reserved]______

こちらは、Universitätsplatz(大学広場) メリーゴーランドも出て、かなりの活況を呈している。
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______[Heidelberg Universitätsplatz 2010 © DFS All Rights Reserved]_____

次に、マルクト(市場)広場。こちらには巨大なクリスマスピラミッドが鎮座ましましている。
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_______[Heidelberg Marktplatz 2010 © DFS All Rights Reserved]_______

次にコルンマルクト(穀物市場)こちらはこじんまりとしていて、舶来品などが売られている。
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_______[Heidelberg Kornmarkt 2010 © DFS All Rights Reserved]________

次にお城の眼下に広がるカール広場(Karlsplatz)
ここは広場の大きさを生かして、大きなグリューヴァインスタンドに加えて、スケートリンクもでる。
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_______[Heidelberg Karlsplatz 2010 © DFS All Rights Reserved]_______

イルミネーションに彩られて、アドヴェントの時期は街全体が明るくなる。暗く長い冬のうるおいだ。
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_______[Heidelberg Karlsplatz 2010 © DFS All Rights Reserved]_______

今年からは、第二アドヴェント限定で、お城でもクリスマス市がたった。その様子はまた改めて。
by fachwerkstrasse | 2010-12-12 23:13 | クリスマス

待降節 第2主日 & エアフルトのクリスマス市

アドヴェントの語源はギリシア語に遡り、元来はお役人や皇帝・国王の訪問を意味するものであったらしい。
加えて神殿に神が降臨することも指していたのを、キリスト教が受け継いだというわけだ。
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_________[Erfurt Fischmarkt 2007 © DFS All Rights Reserved]_________

このアドヴェント期間は、もともとは四旬節、つまり復活祭前の期間であった。原始キリスト教においては
11月11日から1月6日の公現祭までの期間とされており、週末を除いて40日間と定められていた。
11世紀より、四旬節と待降節が合わさった Adventsfasten として受け継がれてきたが、フランシスコ修道会を除いて一般にはなじみの薄いものとなった。1917年に カトリック教会はこの習慣を完全に撤廃した。

キリスト教の枠内でも、このように暦の位置づけは変化してきている。神学的に厳格に考えるのではなく
(だいたい、12月25日に出生届が出されたなんて、どこにも書いていない!)むしろ人々が季節を
どのように捉え、習慣として確立してきたのか、そして厳しい冬の寒さをどのように乗り越えようと
してきたのか、そのような視点から考えるべきだろう。


ところで、今では日本でもパックツアーになっているほどメジャーなイベントになったクリスマス市だが、頻繁に紹介されている大都市でのクリスマス市は、大挙して押し寄せる観光客と、見渡す限りの鉄筋コンクリートという景観のために、雰囲気がぶち壊しになってしまっている。正直言って、あまりゆっくりと落ち着ける雰囲気ではない。

そんな中、ニュルンベルクにも匹敵する大きさと、ローカルな温かみを併せ持った穴場的存在が、エアフルトのクリスマス市だ。古い街並みが残っている街並みに、イルミネーションが映え、街の大きさにはおよそ不釣り合いな大聖堂広場には、巨大な観覧車まで出る。
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__________[Erfurt Domplatz 2007 © DFS All Rights Reserved]_________

ちなみに、この街の広場が大きい理由は、ナポレオンの侵略による。

もともとは現在の半分だけが大聖堂広場で、残り半分は住宅地であった。

しかし広場の後方に聳える要塞との激しい砲撃戦のために、広場横の住宅地は全壊。
そのため、そのままそこもつなげて全体を広場にしてしまったのである。

広場の左右で敷石の色が異なっている。左側の色の薄い部分はかつて住宅地だった所である。
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__________[Erfurt Domplatz 2007 © DFS All Rights Reserved]_________

かつては東ドイツに属していたこの街も、東西ドイツ統一後は街並みの修復が進み、古い街並みと
歴史的遺産を元手に、観光にも力を入れている。クリスマス市にも、特に西側からの観光客が年々
増加しているのが感じられるが、おそらくここが世界的な観光・旅行産業のターゲットになることは
当分はないだろう。どうかこのまま、心の故郷たるにふさわしい形のまま、残っていてほしいものである。
だったら、こうやって大っぴらに書かない方がよいのではないか、というジレンマがつきまとうのだが…
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__________[Erfurt Domplatz 2007 © DFS All Rights Reserved]_________
by fachwerkstrasse | 2010-12-05 23:54 | クリスマス