まだまだ知られざるドイツの歴史探訪の旅。偉大な芸術がうみだされた現場や歴史の舞台となった場所を訪ね歩くことで、紙の上に留まらない活きた文化を醸成してゆく地道な旅の記録です


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© 2010-2011 M.UNO

2005年よりドイツ在住
NRW→Thüringen→Hessen
と放浪の旅を経て、現在は
ドイツ・ハイデルベルク大学 
会議通訳修士課程 在籍中

日本独文学会幽霊会員
日本ヘルマン・ヘッセ友の会/
研究会幽霊会員


[翻訳] 

ヘルマン・ヘッセ:インドから
(ヘルマン・ヘッセ全集第7巻)
臨川書店(京都)

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カテゴリ:文学地理学( 1 )

文学地理学 (導入)

いやはや、人間が「独自に」考えだせるものなど、所詮は限られたものなのだ。独創的な、と思っても、実はすでに他の人が考え抜いていたアイデアだった、なんてことはしょっちゅうある。だから書物を読み、体系化され規範化された学問に触れ、現在ではなく伝統により注視していかなくてはならない。

歴史を巡る旅、文化の痕跡を訪ね歩く旅、というコンセプトをブログの冒頭に掲げたが、実はそれが真新しいものでも何でもなく、それどころか文学解釈の最新潮流として、にわかに注目を浴びている分野でもあるのだ。

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チューリッヒ工科大学の地図学研究所の研究者であるバーバラ・ピアッティ氏が2008年に上梓した研究書「文学地理学」がそれである。

実はひょんなことから今学期履修することになった日本文学のゼミの基礎文献として、この本が用いられているのである。本で考察対象となっているのは内容的にヨーロッパ文学がほとんどなのだが、このメソッドや視点を日本文学でも応用してみようというわけだ。

この本は目からうろこであったと同時に、自分にとっては「救い」でもあった。長年つっかえていたものがすっととれて、自分が本能的に感じていた違和感と、それから芸術に向き合う際の「確信」それが学問的に裏付けられた格好となった。
________________[Hirschhorn am Neckar 2010 © DFS All Rights Reserved]

詳細はいずれここで展開してゆくが、文学地理学の狙いは、80年代以降の文学理論の中で、作品が成立した背景や著者と言うものの存在を無視し、言語学をベースに発達した理論をもとに、あまりにもテクストや時間という「テクスト内の」要素に偏っていた解釈学に「空間」という要素を持ち込んで、新たな光を差し込もうという実に壮大な試みである。そして文学作品の舞台となった場所を訪ね歩く「文学ツーリズム」の意義を再検証し奨励している。

嬉しかった、本当にうれしかった。実際に作品が生み出された、ないし作品のストーリーが展開された土地や空間をこの目で観て、生きたものとして作品を理解しようという、自分の試みは間違っていなかったのである。10年前なら、それは素人のやることで、専門の研究者がやることではないと一蹴されていたことだろう。また自分も実際に、作者の意図に沿って作品を「解説」しているようでは、プロの研究者としてはやっていけないとはっきり言われた。
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______[Der Neckar bei Bad Wimpfen 2010 © DFS All Rights Reserved]______

その後は自分の知識不足を補いながら、こうした「欠陥」を改めるべく、認識を新たにしようと、必死でもがいてきた。しかし作品を作者と切り離して、純粋な存在としてのテキストのみを解剖していくようなやり方には、どうしても与することができなかった。それではあまりにも、読み手が存在している「現在」そして読み手と言う主体があまりにも強すぎる、芸術に触れる本来の目的は、今の時代の価値観や風俗や美意識を離れ、俗っぽい言い方をしてしまえば昔にタイムスリップすることではないのか、あるいはこの言い方に語弊があるならば、作品を読み手の側に引き寄せて合致させるのではなく、読み手が作品の方に歩み寄り、読み手が変化しなくてはならないのではないか、そう思っていたのだ。

それは我々の想像力を刺激し、現状の枠内でしか体験することのできない我々の日常に、新たな次元・広がりをもたらして生活を豊かにし、それによって真の意味での創造力を発揮できるようになるのである。作品に内在するものに目を向けず、理論武装や恣意的な問いかけで作品を征服してしまおうとするのは、真の芸術の喜びではない。だから無批判に現代を肯定し謳歌する今の大衆芸術には、ほとんど反感すら覚えるのである。自由だ、独創的だと人々が考えている大衆芸術の方が、実はよっぽど保守的・規範的であり、かつ強制力を持ったものなのである。我々が「内容のない、薄っぺらな」と感じる判断基準の一つは、おそらくこういうところにあるのである。

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もちろん読み方と言うのは自由であるべきだ。しかしテクストを機械のように分析し論じる現代思想は、我々から読む楽しみを奪い、芸術の根源的な価値を半減させてしまったのではないだろうか。そこにこの「文学地理学」が学問分野として打ち立てられたことは、とても意義深い。


この本は理論展開をした後に、様々な「ケース・スタディ」を豊富に上げている。それはいずれ自分で実地にやるとして(笑)まずはこの理論をきちんと自分のものにしていくために、翻訳としてではなく、自分なりに理解しよう訳した形でまとめていこうと考えている。





[Der Rhein bei Braubach 2010 © DFS All Rights Reserved]_______________


書を捨てよ!ではなく、書を携え町に出よう(笑)
by fachwerkstrasse | 2010-11-10 23:19 | 文学地理学