まだまだ知られざるドイツの歴史探訪の旅。偉大な芸術がうみだされた現場や歴史の舞台となった場所を訪ね歩くことで、紙の上に留まらない活きた文化を醸成してゆく地道な旅の記録です
by fachwerkstrasse
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ベルリン中央駅© 2010-2011 M.UNO
2005年よりドイツ在住
NRW→Thüringen→Hessen
と放浪の旅を経て、現在は
ドイツ・ハイデルベルク大学
会議通訳修士課程 在籍中
日本独文学会幽霊会員
日本ヘルマン・ヘッセ友の会/
研究会幽霊会員
[翻訳]
ヘルマン・ヘッセ:インドから
(ヘルマン・ヘッセ全集第7巻)
臨川書店(京都)
当ブログに掲載の文章・写真の無断転載を禁じます。写真下に
[©DFS] と記されている場合、著作権は全てブログ著者に帰します。それ以外の写真や引用は、その都度出典や著作権元を明示しております。
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2つの川が出会うかつての帝国都市 ネッカーゲミュント ③
まず市門を抜けると真新しく整備された広場があり、その奥は立体駐車場となっている。
_____[Neckargemünd Waltscher Platz 2010 © DFS All Rights Reserved]______
この広場はかつては「フリードリヒスブルクに面した広場 Platz an der Friedrichsburg と
よばれていたが、1983年に「ヴァルチュ広場 „Waltscher Platz」と改名された。
広場横にはその名を冠したホテルもある。一回は中華レストランになっている。
その横をうねるように目抜き通りが走り、旧市庁舎からマルクト広場につながっている。
_____[Neckargemünd Waltscher Platz 2010 © DFS All Rights Reserved]______
ヴァルチュとは、チェコ北西部にある村で、かのカールスバートと同じ圏内である。
現在はチェコ語の地名Valeč となっている。地理的にはエーガーランドと呼ばれる
この一帯は、広義的にはフランケン地方やプファルツ地方の一部も含むものである。
_____[Neckargemünd Waltscher Platz 2011 © DFS All Rights Reserved]______
第二次大戦後にここを追われた住民たちがネッカーゲミュントに
新天地を求めて移り住み、60年代から地元との交流行事が続けられている。
1972年には市門横の小屋に郷土博物館が設立され、85年には両市の
姉妹都市関係をうたった記念プレートも取りつけられた。
_[Neckargemünd Linkes Torhäuschen beim Stadttor 201 © DFS All Rights Reserved]__
このように、思わぬところで戦後ヨーロッパ史の一端を垣間見ることができる。
_____[Neckargemünd Waltscher Platz 2010 © DFS All Rights Reserved]______
この広場はかつては「フリードリヒスブルクに面した広場 Platz an der Friedrichsburg と
よばれていたが、1983年に「ヴァルチュ広場 „Waltscher Platz」と改名された。
広場横にはその名を冠したホテルもある。一回は中華レストランになっている。
その横をうねるように目抜き通りが走り、旧市庁舎からマルクト広場につながっている。
_____[Neckargemünd Waltscher Platz 2010 © DFS All Rights Reserved]______
ヴァルチュとは、チェコ北西部にある村で、かのカールスバートと同じ圏内である。
現在はチェコ語の地名Valeč となっている。地理的にはエーガーランドと呼ばれる
この一帯は、広義的にはフランケン地方やプファルツ地方の一部も含むものである。
_____[Neckargemünd Waltscher Platz 2011 © DFS All Rights Reserved]______
第二次大戦後にここを追われた住民たちがネッカーゲミュントに
新天地を求めて移り住み、60年代から地元との交流行事が続けられている。
1972年には市門横の小屋に郷土博物館が設立され、85年には両市の
姉妹都市関係をうたった記念プレートも取りつけられた。
_[Neckargemünd Linkes Torhäuschen beim Stadttor 201 © DFS All Rights Reserved]__
このように、思わぬところで戦後ヨーロッパ史の一端を垣間見ることができる。
by fachwerkstrasse
| 2011-06-02 01:37
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