まだまだ知られざるドイツの歴史探訪の旅。偉大な芸術がうみだされた現場や歴史の舞台となった場所を訪ね歩くことで、紙の上に留まらない活きた文化を醸成してゆく地道な旅の記録です
by fachwerkstrasse
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ベルリン中央駅© 2010-2011 M.UNO
2005年よりドイツ在住
NRW→Thüringen→Hessen
と放浪の旅を経て、現在は
ドイツ・ハイデルベルク大学
会議通訳修士課程 在籍中
日本独文学会幽霊会員
日本ヘルマン・ヘッセ友の会/
研究会幽霊会員
[翻訳]
ヘルマン・ヘッセ:インドから
(ヘルマン・ヘッセ全集第7巻)
臨川書店(京都)
当ブログに掲載の文章・写真の無断転載を禁じます。写真下に
[©DFS] と記されている場合、著作権は全てブログ著者に帰します。それ以外の写真や引用は、その都度出典や著作権元を明示しております。
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2つの川が出会うかつての帝国都市 ネッカーゲミュント ①
ハイデルベルクからネッカー川を約10キロ、川沿いを走る鉄道(近郊をつなぐSバーン路線)で
東方面に15分程遡ると、ネッカーゲミュントの駅に停車する。
_____[Neckargemünd Bammentaler Str. 2011 © DFS All Rights Reserved]______
ここからは街の様子はまだよくわからないが、発車してしばらくすると進行方向の左側、
小高い丘の上に古い街並みが広がっているのが目に飛び込んでくる。
___[Neckargemünd Bürgermeister-Müßig-Str. 2011 © DFS All Rights Reserved]____
すると電車はトンネルに入り、ここを抜けると次の停車駅「旧市街 Altstadt」に辿りつく。
(旧市街液との間にあるトンネル。その上にはかつての城壁の一部だった塔が顔をのぞかせる)
_____[Neckargemünd Bammentaler Str. 2011 © DFS All Rights Reserved]______
このままさらに電車でゆくと、すぐにネッカー川を越える鉄橋にさしかかる。
ここから川向うに再びみえる旧市街の光景は、まるで時間の流れが止まったかのようだ。
__[Neckargemünd Blick von der Eisenbahnsbrücke 2011 © DFS All Rights Reserved]_
この街の歴史は10世紀に遡る(詳しくはこちらを参照) 13世紀には帝国自由都市となった。
現在の市の紋章に描かれている帝国宝珠はその名残であろう。(帝国宝珠については、こちらも参照)
______[Kleingemünd Fahrgasse 2011 © DFS All Rights Reserved]________
ハインリヒ1世の名が出てくることからも、すでに東フランク王国の時代から重要な拠点であったことが
伺える。そののちプファルツ選帝侯領となり、ハイデルベルクをはじめ、この地域の歴史を語る際には
欠かせない君主カール・テオドアの足跡がここにもみられる。
ドイツ語でmündenとは、川に注ぎ込むという意味。そしてGemündというその名が示す通り、
この街はネッカー川の支流エルゼンツ川が注ぎ込む河口の三角州に広がっている。
__[Neckargemünd Blick von der Friedensbrücke 2011 © DFS All Rights Reserved]__
エルゼンツ川は、ここから南に向かって50キロほど遡り、それに沿っていくつかの町や村がある。
(急成長したサッカーチームのホッフェンハイムと、その本拠地であるズィンスハイム・スタジアムもここだ)
この川が発するのも、同名の村だ。
____________(ネッカーゲミュント街外れのエルゼンツ川の眺め)___________
______[Neckargemünd Mühlgasse 2011 © DFS All Rights Reserved]_______
東方面に15分程遡ると、ネッカーゲミュントの駅に停車する。
_____[Neckargemünd Bammentaler Str. 2011 © DFS All Rights Reserved]______
ここからは街の様子はまだよくわからないが、発車してしばらくすると進行方向の左側、
小高い丘の上に古い街並みが広がっているのが目に飛び込んでくる。
___[Neckargemünd Bürgermeister-Müßig-Str. 2011 © DFS All Rights Reserved]____
すると電車はトンネルに入り、ここを抜けると次の停車駅「旧市街 Altstadt」に辿りつく。
(旧市街液との間にあるトンネル。その上にはかつての城壁の一部だった塔が顔をのぞかせる)
_____[Neckargemünd Bammentaler Str. 2011 © DFS All Rights Reserved]______
このままさらに電車でゆくと、すぐにネッカー川を越える鉄橋にさしかかる。
ここから川向うに再びみえる旧市街の光景は、まるで時間の流れが止まったかのようだ。
__[Neckargemünd Blick von der Eisenbahnsbrücke 2011 © DFS All Rights Reserved]_
この街の歴史は10世紀に遡る(詳しくはこちらを参照) 13世紀には帝国自由都市となった。
現在の市の紋章に描かれている帝国宝珠はその名残であろう。(帝国宝珠については、こちらも参照)
______[Kleingemünd Fahrgasse 2011 © DFS All Rights Reserved]________
ハインリヒ1世の名が出てくることからも、すでに東フランク王国の時代から重要な拠点であったことが
伺える。そののちプファルツ選帝侯領となり、ハイデルベルクをはじめ、この地域の歴史を語る際には
欠かせない君主カール・テオドアの足跡がここにもみられる。
ドイツ語でmündenとは、川に注ぎ込むという意味。そしてGemündというその名が示す通り、
この街はネッカー川の支流エルゼンツ川が注ぎ込む河口の三角州に広がっている。
__[Neckargemünd Blick von der Friedensbrücke 2011 © DFS All Rights Reserved]__
エルゼンツ川は、ここから南に向かって50キロほど遡り、それに沿っていくつかの町や村がある。
(急成長したサッカーチームのホッフェンハイムと、その本拠地であるズィンスハイム・スタジアムもここだ)
この川が発するのも、同名の村だ。
____________(ネッカーゲミュント街外れのエルゼンツ川の眺め)___________
______[Neckargemünd Mühlgasse 2011 © DFS All Rights Reserved]_______
by fachwerkstrasse
| 2011-05-30 21:36
| ネッカー紀行