まだまだ知られざるドイツの歴史探訪の旅。偉大な芸術がうみだされた現場や歴史の舞台となった場所を訪ね歩くことで、紙の上に留まらない活きた文化を醸成してゆく地道な旅の記録です


by fachwerkstrasse

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© 2010-2011 M.UNO

2005年よりドイツ在住
NRW→Thüringen→Hessen
と放浪の旅を経て、現在は
ドイツ・ハイデルベルク大学 
会議通訳修士課程 在籍中

日本独文学会幽霊会員
日本ヘルマン・ヘッセ友の会/
研究会幽霊会員


[翻訳] 

ヘルマン・ヘッセ:インドから
(ヘルマン・ヘッセ全集第7巻)
臨川書店(京都)

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新年のカンタータ ② BWV 190

「主に新たな歌を歌わん」には、同名のモテットもある。
バッハがライプチヒで新年のミサのために最初に手掛けた作品である。
クリスマス・オラトリオの第4曲よりも、新年を祝うにふさわしい内容と華やかな音楽である。

初演は1724年元旦。教会暦ではイエスの割礼と命名を祝うためのものである。1730年6月25日には、アウグスブルク信仰告白の起草200周年を記念する特別ミサにおいて再演された。3日間に渡る盛大なものであったらしい。この改訂版に関しては、詩句のみが現存している。

そこからわかるのは、もともとの新年用の部分からはアリアはそのまま転用され、詩句の身が書き換えられたということである。冒頭の合唱曲と続くレチタティーヴォ付のコラールも祝典用に書き換えられた。残りのレティタティーヴォ2曲と終曲も入れ替えられている。この祝典用の詩句を担当したのは、バッハのカンタータ創作に置いてその存在を抜きにしては考えられないピカンダーである。ピカンダーが当初の新年用のカンタータ詩句も担当したのかはわかっていない。


下の写真は、アウグスブルク信仰告白の起草200周年記念の銀メダル。古銭販売サイトから採りました。表面ではザクセン公ヨハン・フリードリヒとルターが信仰告白書を手に取っている。
裏面は契約の聖櫃を掲げて行進している様子が描かれている。
新年のカンタータ ② BWV 190_b0206899_7254377.jpg

Silbermedaille 1730. (v. Vestner) auf die 200-Jahrfeier der Übergabe der Augsburger Konfession


カンタータ詩句は新年のミサのための形式則ったオーソドックスなもので、詩篇から題材をとっている。冒頭の合唱曲では『詩編』第149編1節および『詩編』第150編4節からの詩句を採用している。続く『詩編』第150編6節からの部分は、ルターのドイツ語訳によるTe Deum(テ・デウム:ラテン語によるカトリックの聖歌)に織り込まれている。

続くコラール部分も同様のドイツ語訳テ・デウムで神をたたえ感謝を捧げる詩句歌われ、その合間にレチタティーヴォで新たな年の幸福を願い前年の無病息災を感謝する内容が謳われる。次のあるとのアリアでも、神への感謝が続くが、ここの詩句があまりこなれていないことから、バッハのケーテン時代の作品からの転用ではないかとも言われている。つまり、新天地での初となる新年のカンタータを作るに当たり、当初はカンタータ全曲を持ち曲の中から転用しようとしたが、途中で方針を変えて新たに作曲をしたとも考えられるのである。

中間部、続くバスのレチタティーヴォからは、では詩句の内容が今度はイエスに向けられる。最後のテノールのレチタティーヴォでは、選帝侯やライプチヒ市参事会、教会や学校、そしてライプチヒ市民などの関係当局すべてに対する祝福を願う内容になっている。終曲のコラールは、ヨハンネス・ヘルマンの讃美歌「イエスよ、今こそたたえられよ」からの第二節が「今年は成就させ給え」の一節を皮切りに引用されている。


ところが至極残念なことに、バッハがこの詩句につけた音楽は完全には残されていないのである。冒頭の合唱と続くコラールとレチタティーヴォの2曲が欠けているのである。1730年の再演に向けた曲の再利用と改訂の際に焼失したとする説もあるが決定的ではない。

特に冒頭曲はほぼ完全に失われてしまっている。しかし、新年を祝うという目的や終曲の華やかな編成(こちらは完全な形で残っている)を考えるに、冒頭の曲も同様に祝典的な華やかな雰囲気であったろうと考えるのが妥当である。

つまり、四声体の合唱とトランペット、ティンパニに管弦楽が加わったフルオーケストラ編成ということになる。このうち残っているのは合唱部分とヴァイオリンパートのみ。しかしこの断片的な資料からも十分にこの冒頭曲の構成を推測することが可能である。すなわち、詩篇からの詩句の部分では単純な和声による朗唱から各声部の交代を伴うフーガに至る多彩なオーケストレーションが施されている。逆に合間に挿入されるテ・デウムの詩句の部分はルター派の伝統に沿ってユニゾンで歌われる。

このような事情から、この冒頭曲を今日再現するためには、残るトランペット、ティンパニ、木管楽器、ヴィオラ、通奏低音の各パートを補足する必要がある。しかしバッハが実際にどこにどのように音符を配置したのか、今日では知る由もない。

逆に2曲目の復元はそれほど問題ではない。ドイツ語訳のテ・デウムを通常の四声体で処理し、3つのレチタティーヴォ部分と組み合わせればよいのである。復元の必要がある通奏低音の基音と和声体もごくわずかである。

続くアルトのアリアはポロネーズ風の朗らかな舞踊曲で、器楽部分が主導し、リズムの刻みと曲構成もはっきりしている。しかし二重唱の方ではあまり舞踊の要素は見られない。テノールとバスの歌唱に加えてオーボエダモーレやヴァイオリンによるオブリガート、さらに通奏低音も加わる。イエスに対する信仰告白が、拍子や音程が自在に変化しながら各声部の歌唱が様々に繋ぎ合わされたり重複することで、ことさら強調される。

終曲のコラールは祝典的な要素が強く、16世紀以来の伝統に沿ってトランペットとティンパニのファンファーレが華を添えている。


さて、こうなるとこの曲の演奏に際しては、音符の解釈だけでなく、広範な音楽の知識とセンスが問われる「復元」と言う要素をも絡んでくるので、なかなかスリリングだ。ネット上には二つの音源があったので、あげておくこう。

ひとつは、バッハ・コレギウムジャパンのもの。例えは悪いが、これを聴くと、まず曲そのものに関しても、やはり偽作の疑いが濃厚な前回のBWV143とは曲のクオリティが雲泥の差であるし、演奏の方もこれが復元だとは信じがたいほど、バッハの音楽だと素直に納得できるものだと思う。リズム感や楽器の響きも素晴らしい。

もうひとつはトン・コープマンによる復元。鈴木雅明のものと比べると、祝典的な雰囲気を強調するあまり、
やや恣意的なオーケストレーションになってしまったように感じる。まぁコープマンの性格からすると、
わからなくもないのだが。。。 こちらは3曲目のアルトのアリアまでがアップされています。
by fachwerkstrasse | 2011-01-05 00:01 | 教会暦 カンタータ