まだまだ知られざるドイツの歴史探訪の旅。偉大な芸術がうみだされた現場や歴史の舞台となった場所を訪ね歩くことで、紙の上に留まらない活きた文化を醸成してゆく地道な旅の記録です


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© 2010-2011 M.UNO

2005年よりドイツ在住
NRW→Thüringen→Hessen
と放浪の旅を経て、現在は
ドイツ・ハイデルベルク大学 
会議通訳修士課程 在籍中

日本独文学会幽霊会員
日本ヘルマン・ヘッセ友の会/
研究会幽霊会員


[翻訳] 

ヘルマン・ヘッセ:インドから
(ヘルマン・ヘッセ全集第7巻)
臨川書店(京都)

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降誕祭第1日 クリスマス・オラトリオ第一部

降誕祭(所謂クリスマス)は25日から3日間続く。従って現在でもメインのお祝いは25日だ。

そして、この降誕祭のために作曲された教会カンタータは、25日が4曲、26日が3曲、27日が2曲だ。3日連続で、これら9曲をやっつけていくことはかなり厳しいので、とりあえずクリスマス・オラトリオでお茶を濁すことにし、公現祭までの間の残りの日を使って、なんとか消化するようにしたい。

往年の名テノール、ペーター・シュライヤーの指揮する2005年の映像があった。いずれ詳しくここで書こうと思っているが、僕は指揮者としてのシュライヤーのバッハ解釈に非常に共感を覚えている。一つには、日進月歩のバッハ解釈をきちんとおさえていること、そして(にも拘らず?)彼の「歌心」が声楽パートだけでなく、器楽合奏全体にも生き生きと息づいているからである。

しかも、指揮もしながら福音史家も務めるという離れ業… ベテランだからできるんだろうな、きっと。
しかし、確かこの年に「歌手稼業引退ツアー」を行っているわけで、さすがに声がちょっと厳しいですね。。。
実際に、しかも教会で聴いたらそれほど気にはならないのでしょうが。
今も指揮と歌を兼ねてやっているのかしら?

86年から87年にかけての録音も大変素晴らしいが、この映像では彼の解釈がさらに進化していることをうかがわせる。初めて聴く人にも安心してお勧めできる演奏だと思う。

さて、25日のための第一部は1734年の12月25日の聖夜に初演された。場所はライプチヒのニコライ教会

それまでの個々のカンタータではなく、教会暦の幕開けとなる、3日間の降誕祭をひとくくりにし、さらに新年から公現祭までの合計6日間までをもセットにしようとする壮大な試みの、これがその始まりである。

このような連作カンタータの例としては、バッハ自身の所謂「コラール・カンタータの年」の他にも、リューベックの「音楽の夕べ」や、一連の受難曲としてのカンタータやオラトリオが17世紀の終わりから特にゴータ城でシリーズとして上演された記録が残っていることなどが挙げられる。

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__________[Marburg Markt 2007 © DFS All Rights Reserved]________


バッハが、このクリスマス・オラトリオを当初から連作として構想を練っていたのかについては分かっていない。自筆譜で「第何部」という書き込みが見られるのは第三部からなのである。さしあたり、この点について作曲者自身が保留にしていた理由は1734年の初版を見ると分かる。その表紙には、はっきりと「聖夜に渡って、ライプチヒのニコライ・トーマス両教会において演奏されたオラトリウム」と記されているのである。

しかし個々のカンタータの題目を見てみると、シリーズとして意識して上演されていたのかは疑わしくなる。というのも、当時のライプチヒでの習慣として、教会音楽の上演はニコライ・トーマス両教会を行き来して行われていたことから、ニコライ教会では一部、三部、五部を午前のミサで上演し、残りは降誕祭第2日、新年、公現祭の1月6日の夕方のミサで上演、逆にトーマス教会では一部、二部、四部、六部のみが俎上に上った。

こうした事情を考えると、キリストの生誕から東方三賢人までの物語を連作カンタータとして描くというコンセプトを抱いてはいたものの、バッハはそれが実際に一度に上演可能なものだとは考えていなかったことになる。そのため、6部の連作カンタータの完成までには、構想を温めて時間をかけたと考えるのが妥当なところだが、具体的に個々のカンタータを作るにあたって、どこまで全体を見据えていたのかも、今となってはわからない。

前述の通り、上演に際してはニコライ教会の方が優先されていたに加え、福音の物語がどのように扱われていたのかについても、いくつかの疑問点が残る。本来なら降誕祭第1日のためのテクストをバッハは第一部と第二部に振り分け、第2日目のためのテクストを第三部に配置しているからである。同様に5部と6部に関しても、本来入るはずの、ヘロデ王による虐殺を逃れるためエジプトに移った件がごっそり抜けている。また1734年の暮は、クリスマスの後ではなく、新年と公現祭の間に日曜日があったという事情もあったことにも触れておこう。

このクリスマス・オラトリオも、それ以前の世俗カンタータの音楽を再利用し、詩句をクリスマス用に改めて作られている。いわゆるパロディ手法と呼ばれるやり方である。要するに、音楽を書く時点では「イエス様のご誕生をお祝いして」というつもりでは書いていなかったことになる。それどころか「そういえば、前に祝典的な華やかな曲を書いたけど、あれクリスマスにも持って来いだよなぁ」というわけで、これは真面目な信者の方々には、にわかには受け入れがたい事実だったらしい。

どうにかこれを、バッハのあつい信仰心のなせる技という結論で落ち着かせるべく、19世紀末にはいろいろな解釈が試みられたらしい。曰く「世俗音楽といえども、バッハの音楽はおよそ世俗的とは言い難いものであった(=故に、教会音楽への転用が可能であった)」 などなど。シュヴァイツァーも「詩句だけ無理やり入れ替えたことで、音楽と言葉がちぐはぐになっている」と断じている始末。

しかし実際には、台本作者と緊密に協力しながら、実に念入りに改作を行っていたことが、後の研究で判明している。つまりあくまでバッハの「音楽」が偉大なのであり、それゆえにどんなテキストでも見事に当てはまってしまうのである。1969年になってルートヴィヒ・フィンシャーはようやっと「バッハの音楽作品の偉大さはパロディ改作ができることを前提としているところにある」と述べている。このあたりから、ようやく「敬虔なプロテスタント信仰=バッハの音楽の偉大さ」という単純な呪縛から、バッハ解釈が解き放たれてきたといえるだろう。

第一部冒頭の、とても華やかな、これ以上にクリスマスの華やかな雰囲気に似つかわしい音楽があるだろうかと思わせる合唱曲は、カンタータ『太鼓よ轟け、ラッパよ響け』BWV214のパロディである。

その名の通り、ティンパニのソロの導入と管楽器の応答に続いて、トランペットが高らかにクリスマスの到来を祝うファンファーレを奏でる。中間部のシオンのアリアは『岐路に立つヘラクレス』BWV213の改作。

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_______[Marburg Elisabethkirche 2008 © DFS All Rights Reserved]______
by fachwerkstrasse | 2010-12-25 23:57 | クリスマス