まだまだ知られざるドイツの歴史探訪の旅。偉大な芸術がうみだされた現場や歴史の舞台となった場所を訪ね歩くことで、紙の上に留まらない活きた文化を醸成してゆく地道な旅の記録です


by fachwerkstrasse

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© 2010-2011 M.UNO

2005年よりドイツ在住
NRW→Thüringen→Hessen
と放浪の旅を経て、現在は
ドイツ・ハイデルベルク大学 
会議通訳修士課程 在籍中

日本独文学会幽霊会員
日本ヘルマン・ヘッセ友の会/
研究会幽霊会員


[翻訳] 

ヘルマン・ヘッセ:インドから
(ヘルマン・ヘッセ全集第7巻)
臨川書店(京都)

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待降節 第1主日のためのカンタータ BWV61

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教会暦の冒頭を飾るに相応しい華麗なカンタータ。


ワイマール時代の1714年の作品である。

ワイマール城の教会でのミサのために作曲された。


当時の城は、ゲーテの意匠で再建された
現存する古典主義様式のものとは異なる。

右側がゲーテ在任当時に再建された部分、
左の塔のみがそれ以前から残る部分である。


________________[Weimar, Stadtschloss 2009 © DFS All Rights Reserved]


ニコラウス・アーノンクールのあつ~い演奏を、こちらでどうぞ♪ オーストリアのメルク修道院でのライヴだ。
こちらは、この曲が作曲された当時の「前衛性」を前面に打ち出した表現だと言えるだろう。

コープマン&ABOの演奏もあった。アーノンクールとは随分と様子が違う。
あまりコープマンらしからぬ(?)内省的な表現になっている。
バッハのほとばしる創造意欲よりは、元のルター派のコラールの伝統に重きを置いて、
表現のバランスをとっているようだ。しかし、おごそかにクリスマスを祝う温もりに満ちている。


同じく待降節 第1主日のためのBWV62ともども、ルターのコラール「異教徒の救い主が来たれり」からカンタータは始まる。これはラテン語の讃美歌をルターがドイツ語に翻訳したもので、1524年に発表された。ベースとなっているのは、マタイによる福音書21章で、イエスのエルサレム入場と救い主の到来が描かれている。マルコとルカの福音書にもほぼ同じ記述がみられる。

歌詞として採用されたのは、エルトマン・ノイマイスターの詩句。ハインリヒ・シュッツが少年時代を過ごしたヴァイセンフェルス近郊の出身で、様々な要職をこなしていたが、聖書に基づいたカンタータ用の詩句を集成したものを1714年にフランクフルトで出版した。当時そこの楽長であったテレマンに献呈されている。実は同じ年にテレマンは、カール・フィリプ・エマヌエルの代父を務めているのだ。息子が晩年に回想している通り、二人の大音楽家は実に親密な関係で、様々な情報交換をしていたことも容易に推測できる。そうでなければ、出版されたばかりのカンタータ詩句を用いることなどできなかったであろう。
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________[Heidelberg Marktplatz 2010 © DFS All Rights Reserved]________

ノイマイスターのテキストには、レチタチーヴォやアリアの形で自由に創作された詩句に加えて、コラール(讃美歌)や聖書からの引用などが自由に織り込まれている。このような形式は長きに渡ってノイマイスターが新たに創出したスタイルであるとみなされてきたが、実は彼のオリジナルでもなければ、本人も特別そこにはこだわっていなかったことが判明した。元来は聖書からの引用やコラールの詩句を含まない形式を得意としており、上記のカンタータ詩句集の出版前に知られていたノイマイスターの姿は、まさにそれであった。61のカンタータのような混合形式は17世紀にまで遡り、ノイマイスターがこの形式に触れたのは1704年のことであった。

カンタータの詩句をみてみよう。Kommen(来る)というのは、カンタータ全体を通じて最も重要なキーワードである。聖書から引用した個所以外では、ほぼすべてに織り込まれている。3番目のテノールによるアリアでは、具体的に新しい年への祝福への祈りが歌われている。それに対して、続くレチタティーヴォでイエスが応える。詩句はヨハネによる黙示録3章からとられたものだ。ここで「戸を開き、中に入る」と謳われている意味は、次のソプラノによるアリアで明かされる。

締めくくりのコラールは、1599年のフィリップ・ニコライによる「明けの明星」の讃美歌から一部が取られたものである。明けの明星はイエスの象徴であり、アドヴェントに入ると街中に星の形をした灯が吊るされる他、日本でもクリスマスツリーのてっぺんに載っている星の飾りでおなじみですね。
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_________[Heidelberg Plöck 2010 © DFS All Rights Reserved]_________


ではバッハの音楽はどうだろう。冒頭の合唱曲からして、ルターによる伝統的なコラールの詩句を、当時最先端の(それも中部ドイツの田舎で!)フランス風序曲の形式ならびに楽器編成で奏でるという、大胆な開始の仕方だ。30歳になったばかりの若き宮廷オルガニストの持てる力が全て発揮されている。この第一曲目は3部形式で、両端部分の、引きずるようなリズムと荘重な響きは、17世紀のフランス・オペラで国王の到着を告げるファンファーレの模倣である。当然これはイエスのエルサレム到着のイメージに結び付けられている。自ら収集した音楽形式と、そこで慣習となっている象徴的なモチーフを、カンタータの詩句に沿って効果的に用いるという、実験的な試みが早くもなされている。しかしこのような祝典的なイメージにも関わらず、調性が短調となっているのは、讃美歌の伝統を意識したものである。

作曲および初演から11年後、バッハがライプチヒに着任した最初の年に再演されたことが確認されている。バッハはその際に、ミサの式次第をオルガニストの仕事に至るまで詳細に総譜に書きとめている。実際のミサでは、カンタータの各部分を式全体の中で分散さして、説教などの間に演奏することもあるのだが、この61番のカンタータが、ライプチヒでの再演の際に、具体的にミサのどの部分で上演されたのかは分かっていない。ただし、バッハのメモを元に推測するなら、ミサの後半部分でまとめて上演された可能性が高い。

西洋音楽の百科全書と謳われるバッハのカンタータ。教会暦最初の、それも若き創作意欲あふれるこの作品からして、大バッハの面目躍如たるところだ。
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_______[Bad Wimpfen Hauptstraße 2010 © DFS All Rights Reserved]______
by fachwerkstrasse | 2010-12-14 23:57 | 教会暦 カンタータ