まだまだ知られざるドイツの歴史探訪の旅。偉大な芸術がうみだされた現場や歴史の舞台となった場所を訪ね歩くことで、紙の上に留まらない活きた文化を醸成してゆく地道な旅の記録です


by fachwerkstrasse

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© 2010-2011 M.UNO

2005年よりドイツ在住
NRW→Thüringen→Hessen
と放浪の旅を経て、現在は
ドイツ・ハイデルベルク大学 
会議通訳修士課程 在籍中

日本独文学会幽霊会員
日本ヘルマン・ヘッセ友の会/
研究会幽霊会員


[翻訳] 

ヘルマン・ヘッセ:インドから
(ヘルマン・ヘッセ全集第7巻)
臨川書店(京都)

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待降節 第2主日 & エアフルトのクリスマス市

アドヴェントの語源はギリシア語に遡り、元来はお役人や皇帝・国王の訪問を意味するものであったらしい。
加えて神殿に神が降臨することも指していたのを、キリスト教が受け継いだというわけだ。
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_________[Erfurt Fischmarkt 2007 © DFS All Rights Reserved]_________

このアドヴェント期間は、もともとは四旬節、つまり復活祭前の期間であった。原始キリスト教においては
11月11日から1月6日の公現祭までの期間とされており、週末を除いて40日間と定められていた。
11世紀より、四旬節と待降節が合わさった Adventsfasten として受け継がれてきたが、フランシスコ修道会を除いて一般にはなじみの薄いものとなった。1917年に カトリック教会はこの習慣を完全に撤廃した。

キリスト教の枠内でも、このように暦の位置づけは変化してきている。神学的に厳格に考えるのではなく
(だいたい、12月25日に出生届が出されたなんて、どこにも書いていない!)むしろ人々が季節を
どのように捉え、習慣として確立してきたのか、そして厳しい冬の寒さをどのように乗り越えようと
してきたのか、そのような視点から考えるべきだろう。


ところで、今では日本でもパックツアーになっているほどメジャーなイベントになったクリスマス市だが、頻繁に紹介されている大都市でのクリスマス市は、大挙して押し寄せる観光客と、見渡す限りの鉄筋コンクリートという景観のために、雰囲気がぶち壊しになってしまっている。正直言って、あまりゆっくりと落ち着ける雰囲気ではない。

そんな中、ニュルンベルクにも匹敵する大きさと、ローカルな温かみを併せ持った穴場的存在が、エアフルトのクリスマス市だ。古い街並みが残っている街並みに、イルミネーションが映え、街の大きさにはおよそ不釣り合いな大聖堂広場には、巨大な観覧車まで出る。
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__________[Erfurt Domplatz 2007 © DFS All Rights Reserved]_________

ちなみに、この街の広場が大きい理由は、ナポレオンの侵略による。

もともとは現在の半分だけが大聖堂広場で、残り半分は住宅地であった。

しかし広場の後方に聳える要塞との激しい砲撃戦のために、広場横の住宅地は全壊。
そのため、そのままそこもつなげて全体を広場にしてしまったのである。

広場の左右で敷石の色が異なっている。左側の色の薄い部分はかつて住宅地だった所である。
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__________[Erfurt Domplatz 2007 © DFS All Rights Reserved]_________

かつては東ドイツに属していたこの街も、東西ドイツ統一後は街並みの修復が進み、古い街並みと
歴史的遺産を元手に、観光にも力を入れている。クリスマス市にも、特に西側からの観光客が年々
増加しているのが感じられるが、おそらくここが世界的な観光・旅行産業のターゲットになることは
当分はないだろう。どうかこのまま、心の故郷たるにふさわしい形のまま、残っていてほしいものである。
だったら、こうやって大っぴらに書かない方がよいのではないか、というジレンマがつきまとうのだが…
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__________[Erfurt Domplatz 2007 © DFS All Rights Reserved]_________
by fachwerkstrasse | 2010-12-05 23:54 | クリスマス