まだまだ知られざるドイツの歴史探訪の旅。偉大な芸術がうみだされた現場や歴史の舞台となった場所を訪ね歩くことで、紙の上に留まらない活きた文化を醸成してゆく地道な旅の記録です


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© 2010-2011 M.UNO

2005年よりドイツ在住
NRW→Thüringen→Hessen
と放浪の旅を経て、現在は
ドイツ・ハイデルベルク大学 
会議通訳修士課程 在籍中

日本独文学会幽霊会員
日本ヘルマン・ヘッセ友の会/
研究会幽霊会員


[翻訳] 

ヘルマン・ヘッセ:インドから
(ヘルマン・ヘッセ全集第7巻)
臨川書店(京都)

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ドイツ木組みの家街道 -帝国高等法院の街 ヴェッツラ-⑪ -

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ヘッセン州の古都ヴェッツラーの散策にあたって、まずゲーテの住居があった穀物広場を見て廻っているが、前回は2番地の建物の歴史を振り返った。


この向かいの7番地の建物にゲーテがいた当時、広場の奥の2番地の方は法廷関係者の住まいであった。


つまりゲーテがここで滞在していた身の回りの環境というのは、だいたい次のような様子ではなかっただろうか。


まず自分の居住空間に検察官の一家もいて、隣はにぎやかな社交場、そして広場の向こう側にも法廷関係者たちの住まいがあったわけだ。




[Wetzlar Kornmarkt 7 2009 © DFS All Rights Reserved]_______________

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しかし当時の帝国最高裁は慢性的財政赤字を抱えており、人材不足にも悩まされていた。

訴訟を起こしても死ぬまでには到底終わらず、未決着の訴状の山が積もり積もる有様。

司法修習生ゲーテ氏はすぐに見切りをつけて、友人たちとのおしゃべりや近郊の村や森での現実逃避、挙句の果てには婚約者のいる女性にうつつを抜かす…という生活だったわけで、

そんな体たらくの司法修習生が、こんな狭い街で噂にならないわけがない。

さぞかし窮屈な思いだったのではないだろうか。

_______________[Wetzlar Fischmarkt 13 2009 © DFS All Rights Reserved]


詩人としての自覚に目覚め、自然を何よりも愛するこの若き「法律家」は、しかし洗練された社交界、市民としてのしきたりや束縛に縛られたお行儀のよい通り一辺倒の生活に甘んじることはできなかった。もっとも、実際の生活習慣は律義で几帳面な伝統的市民階級のものに他ならなかったが、一方で芸術家としての抗いがたい衝動も内面には巣食っていて、この両者の激しい鬩ぎ合いを超克するのにゲーテは一生苦労した。

小説の主人公は到着して2週間後の手紙で次のように述べている。

「いやぁ本当にいい人達だ!時には我を忘れて、きれいに整えられた食卓を囲んで、すっかり打ち解けてみんなで一緒に思う存分楽しんだり、ちょっとそこまで馬車で繰り出したり、踊ったりと。そうすると本当に気分がすかっとするんだよ。でも思いもよらないことに僕の中には、まだ何か別の力が潜んでいるんだ。放っておけば何てことはないから、そっと隠しておかなくてはね。なんとも窮屈な思いだけど、でも、誤解されるのは僕らの様な人間の定めなのさ!」

件の小説の中で、この不思議な力は、人目を憚らずに爆発し、自暴自棄になって自らを狂乱状態に陥れ、最後はあの悲劇的な結末に至るのである。こうした衝動は作者本人のものであっただろうが、筆をとって自らに降りかかった現実の悲劇と言い知れぬ衝動を作品に昇華させたことで危機から脱したのである。

(街の南側に位置するシュトッペルベルク山にまで、ゲーテはよく足を延ばしていた。秋の風景)
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______[Wetzlar Volpertshäuserstraße 2010 © DFS All Rights Reserved]____


そもそも大学を出たての若きゲーテが、現役の法曹が住んでいるこのような一等地に住めたのも、同じ広場の一角に住んでいた母方のおばが取り成してくれたからなのだが(母方の祖父はフランクフルト市長を務めた名士。そりゃあちこちに顔が効いたことだろう)にも関わらず(いや、だからこそ?)目の前の近しい世界、自らの本分に直結する人間関係を素通りして街の外へ出かけて思索にふける、というのはやはりよほどのことなのだろう。ゲーテはこの後、銀行家の令嬢との婚約も破棄することになるが、やはり決まり事やしがらみの多いブルジョワ社会に収まれるような気質ではなかったのである。

急な坂道の狭い街路に、歩行者や馬車や郵便馬車、そして上流階級までもがひしめく、この窮屈な帝国都市の中で、当時ゲーテは何を思ったのだろうか。
by fachwerkstrasse | 2010-11-02 23:56 | ゲーテの足跡を訪ねて