まだまだ知られざるドイツの歴史探訪の旅。偉大な芸術がうみだされた現場や歴史の舞台となった場所を訪ね歩くことで、紙の上に留まらない活きた文化を醸成してゆく地道な旅の記録です


by fachwerkstrasse

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© 2010-2011 M.UNO

2005年よりドイツ在住
NRW→Thüringen→Hessen
と放浪の旅を経て、現在は
ドイツ・ハイデルベルク大学 
会議通訳修士課程 在籍中

日本独文学会幽霊会員
日本ヘルマン・ヘッセ友の会/
研究会幽霊会員


[翻訳] 

ヘルマン・ヘッセ:インドから
(ヘルマン・ヘッセ全集第7巻)
臨川書店(京都)

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次世代の演奏家 フランソワ・シャプラン (続き)

このような作曲家ごとの「響き」の特性に、ここまで徹底して集中している人は、いなかったと思う。

というのは、たいていはピアニスト自身の技巧や音楽性で、作品を征服しようというのが、演奏芸術の基本的な考えであり、特に自分の楽器を持ち運びができないピアノの場合、楽器そのものを工夫して独創的な音楽を作ることは、なかなか難しい。そうなると、頼みの綱はやっぱり技巧と言うことになってしまう。

そんな中でも、自分で調律技術や音響物理学まですべて学び、マイピアノを世界中持ち歩くツィマーマンや、調律法や周波数を変えてフーガの技法の新しいピアノ演奏の可能性を開拓するエマールのような試みもある。しかしここで聴かれる響きは、まったくそれとも異質なものだ。

(ホロヴィッツも自分のピアノを持ち歩いていたが、あれは年老いた体でも超絶技巧が発揮できるように、鍵盤をスカスカにするなど禁じ手とも言える改造を施していて、それでないとあの音が出せなかったからだ)


ところで、最初はあまりの響きの美しさに気を取られていたが、よくよく聴いてみると、実はこの人恐ろしいくらいに感情がこもっていない。

これだけのシンパシーなしに、よくぞここまでショパンを感動的に響かせることができるものだと、むしろあきれるほどだが、その徹底ぶりが、かえってプラスに作用しているのかもしれない。

真に普遍的な深みに達し、作曲家が譜面の裏に隠した感情と一体とでない限り、演奏者がこめる恣意的な「感情」というのは、邪魔にこそなれ決して聴衆を感動させたりはしないからだ。

もちろんエンタテイメントを求める聴衆と、はなからそれを煽るつもりの演奏家という、不幸な組み合わせの場合をのぞくが...

次世代の演奏家 フランソワ・シャプラン (続き)_b0206899_21163959.jpg

そのことは、改めてアラウの演奏に立ち返ってみた時に感じたことで、二人とも極度に美しい音色を誇っていながら、その本質がまるで異なることに気づかされた。

だが、通常だとこれで若い方の「浅さ」が目につくものなのだが、シャプランの場合それがない、つまり浅いか深いかの問題ではなく、まったく互角に別の世界を切り開いているのだ。

また、テンポや息遣いなども、禁欲的ともいえる無理のないもので、しかも恣意的なところ、華やかな技巧をひけらかす様子はみじんも感じられない、無理のない演奏だ。

だから演奏効果や技巧を求める人にはお勧めできない。



[Dans le Parc de la Roque d'Anthéron 2010 © FRANCOIS CHAPLIN - 2008/10] ____

公式HPおよびYoutubeにある映像は、ピアノの質が悪いのか録音環境が悪かったのか、音質が非常に悪く、彼の持ち前の響きはごっそりなくなっている。

クレンペラーも真っ青の即物性で(といっても、当時の新即物主義とはもちろん違う。テンポルバートなどはそれ相応にやっております)まるで氷のような冷たさ、しかし太陽に照らされた真冬の氷柱のような輝き。これが50年くらいしたら円熟して恐るべき深みへと到達するのだろうか?それもまた見ものだ。
by fachwerkstrasse | 2010-10-31 21:26 | 次世代の演奏家たち