まだまだ知られざるドイツの歴史探訪の旅。偉大な芸術がうみだされた現場や歴史の舞台となった場所を訪ね歩くことで、紙の上に留まらない活きた文化を醸成してゆく地道な旅の記録です


by fachwerkstrasse

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© 2010-2011 M.UNO

2005年よりドイツ在住
NRW→Thüringen→Hessen
と放浪の旅を経て、現在は
ドイツ・ハイデルベルク大学 
会議通訳修士課程 在籍中

日本独文学会幽霊会員
日本ヘルマン・ヘッセ友の会/
研究会幽霊会員


[翻訳] 

ヘルマン・ヘッセ:インドから
(ヘルマン・ヘッセ全集第7巻)
臨川書店(京都)

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ドイツ木組みの家街道 -帝国高等法院の街 ヴェッツラ-⑧ -

コルンマルクトの南側のテラスには泉がある。

すでに1341年には文献でその存在が確認されている。街の近くのカイザースグルントと呼ばれる谷間の源泉から水道を引いていたようだ。後で詳述するドーム(大聖堂)広場やアイゼンマルクト(鉄市場)の泉と合わせて、市内の重要な水汲み場であった。

19世紀になるとカイザースグルントからの水だけではこれらの泉すべての水を賄えなくなり、新たな水道設備が敷設され、従来からの泉はその役割を終えた。

ここの泉の下部は15枚の板から成る桶でできていて、その真ん中には柱頭とガーゴイルのついた柱が据え付けられている。その上には帝国の紋章である王冠を頂いた鷲がそびえている。この王冠は皇帝ルドルフ2世の治世に鋳造され18-19世紀にはハプスブルク家の王冠として用いられていたものだ。

(手前の柵のすぐ向こう側、2件の木組みの家のちょうど間に泉がみえる)

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________[Wetzlar Kornmarkt 2009 © DFS All Rights Reserved]________

ちなみに、そのカイザースグルントと呼ばれる谷間には、フリードリヒ2世の名を語った自称皇帝、ティーレ・コルプの記念碑がある。

このペテン師は、はじめデュッセルドルフ近郊のノイスでなんと宮廷を構え、貴族を従えて皇帝の名で書類を出したりもしていたらしい。

1285年にヴェッツラーに移ってきたのだが、ハプスブルク家のルドルフ王がヴェッツラーの付近で宿営した折に、市民によって捉えられ王に突き出され、同年の7月7日に異端者として火刑に処せられた。

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________[Wetzlar Kornmarkt 2009 © DFS All Rights Reserved]________

当時はこの世の終末に際して所謂「平和の皇帝 Friedenskaiser」が復活するという一種の救世主伝説が広まっていた。

もともとは古代ローマに端を発するものだが、こと中世ドイツとなると、その死後もキフホイザー山に身を潜めて、ドイツ危機の折に再び蘇るという、赤髭バルバロッサ王の復活伝説に便乗したペテン師が当時は他にもいたらしい。

考えてもみれば新聞もテレビもない時代。グーテンベルクが活版印刷術を開発するのは、200年ほど後のことだ。先立つものさえあれば、意外と簡単に人々をその気にさせることはできたのかも。(どこから資金を調達していたのかは謎らしいが) しかもその皇帝復活の民間信仰は、蘇った皇帝は民より現るという風に形を変えていたからなおさらだ。

(写真の右手、行き先案内表示の足元に泉が見える)

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________[Wetzlar Kornmarkt 2010 © DFS All Rights Reserved]________
by fachwerkstrasse | 2010-10-26 07:43 | ドイツ木組みの家街道