まだまだ知られざるドイツの歴史探訪の旅。偉大な芸術がうみだされた現場や歴史の舞台となった場所を訪ね歩くことで、紙の上に留まらない活きた文化を醸成してゆく地道な旅の記録です


by fachwerkstrasse

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© 2010-2011 M.UNO

2005年よりドイツ在住
NRW→Thüringen→Hessen
と放浪の旅を経て、現在は
ドイツ・ハイデルベルク大学 
会議通訳修士課程 在籍中

日本独文学会幽霊会員
日本ヘルマン・ヘッセ友の会/
研究会幽霊会員


[翻訳] 

ヘルマン・ヘッセ:インドから
(ヘルマン・ヘッセ全集第7巻)
臨川書店(京都)

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ドイツ木組みの家街道  -帝国高等法院の街 ヴェッツラ- ② 

石器時代から人間が定住していた痕跡が見られるが、現在に連なるヨーロッパ都市としての歴史はカロリング朝の時代にさかのぼる。Wetzlarの語尾-larは、ゴスラーやフリッツラーなどと同様、ケルト人が3世紀ごろまでに定住していたことを示唆するものだ。また古フランク語の(hlar/hlari)で柵、足場、骨組みを意味するものでもあるらしい。

832年にインゴルトという人物がロルシュ修道院に寄進をしたとロルシュ写本の年代記に記されているのが、最初の記録である。市(マルクト)の開催権が付与された年月は特定されていないものの、現在の大聖堂広場の周りで定期的に市が開催されるようになり、祝祭日ともなると教会関係者や商人、手工業者がここに集うようになる。12世紀後半からは帝国都市としてフランクフルトに次いで、ヘッセン地域で重要な位置を占めるようになった。
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________[Der Wetzlarer Dom 2007 © DFS All Rights Reserved]________

皇帝フリードリヒ1世(赤髭バルバロッサ)は、この都市に伯爵(Vogt)を置き、フランクフルトと同様の市民権を付与した。「カールの口 Karlsmund」と呼ばれる巨大な防塁が郊外の山上に築かれ、今でも遺跡として残っている。

その後街は一時衰退するものの、17世紀後半にファルツ継承戦争で荒廃したシュパイヤーから神聖ローマ帝国の最高裁判所にあたる、帝国最高法院(Reichskammergericht)が移転してきたことで、再び繁栄。法律家や貴族などの上流階級が移り住んで街はにわかに活気を帯び、バロックやロココ様式で彩られるようになる。これが現在の街並みに直結している。
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_______[Der Wetzlarer Domplatz 2009 © DFS All Rights Reserved]_______

19世紀後半からは工業も発達し、今日に至るまでヘッセン州中部の重要な産業拠点となっている。ただ、それが災いして、第二次大戦時にはこの街も空襲の標的となった。だが幸いにして、旧市街では大聖堂が大きな損傷を受けたものの、街並み全体を損なうほどの被害はなかった。しかし、旧市街の中心部には、明らかに60年代ごろに建てられたと思われる鉄筋コンクリートのアパートなどが散見される。古い街並みへの意識が80年代以降にも芽生えてなければ、そのままこの古い街並みは損なわれていたかもしれないのだ。

なお戦後の市町村合併で小話がひとつ。77年に隣のギーセンや周辺の村落と合わせStadt Lahn(ラーン市)としてヴェッツラーは一つの巨大な街に統合された。しかしわずか二年でこの合併プロジェクトはとん挫、結局もとのギーセン・ヴェッツラー、そしてそれぞれの街ごとに周辺地域を含む二つの大規模都市群に分割された。

だが何と言ってもこの町の名を世界に知らしめているのは、あの文学史上に燦然と輝く大ベストセラーである。
by fachwerkstrasse | 2010-10-05 23:49 | ドイツ木組みの家街道