まだまだ知られざるドイツの歴史探訪の旅。偉大な芸術がうみだされた現場や歴史の舞台となった場所を訪ね歩くことで、紙の上に留まらない活きた文化を醸成してゆく地道な旅の記録です
by fachwerkstrasse
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ベルリン中央駅© 2010-2011 M.UNO
2005年よりドイツ在住
NRW→Thüringen→Hessen
と放浪の旅を経て、現在は
ドイツ・ハイデルベルク大学
会議通訳修士課程 在籍中
日本独文学会幽霊会員
日本ヘルマン・ヘッセ友の会/
研究会幽霊会員
[翻訳]
ヘルマン・ヘッセ:インドから
(ヘルマン・ヘッセ全集第7巻)
臨川書店(京都)
当ブログに掲載の文章・写真の無断転載を禁じます。写真下に
[©DFS] と記されている場合、著作権は全てブログ著者に帰します。それ以外の写真や引用は、その都度出典や著作権元を明示しております。
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なぜ「木組み街道?」 (12) - 真実の自己を求めて -
自分は小学校から大学入学にかけて、特に最後の浪人時代の一年には、広範な歴史の知識を獲得したが、あれがなかったら、今の自分はないと思うし、世の中で起こっていることの半分も理解できていないだろう。(資料や情報に対する批判を行うのはそれからだ。日本の大学で、高校までの「詰め込み」をベースに批判や議論を行う力を養成することができるのであれば、かなり理想的だと思うのだが…)
まずは本当の「自分」というのは、そうした過去への敬意、それまでの人類の蓄積を貪欲に吸収した上で完成するものなのだ。そういったものに関心を払わず「自分が、自分が」と吠えている限りは、それは実はまやかしであって、本当の自分ではない。(だから、頭の柔らかいうちに本を読み、いろんなものを見聞きしなくてはならない!こう思うのは、すでに年を取った証拠なのかしら?)
(ゲーテ:喜びをもって行為をし、行為したことに喜ぶものが、幸せをつかみ取るのである)
[Goethe-Denkmal in Jena 2006 © DFS All Rights Reserved]
そんな思いで、この10年間突っ走ってきた。浅はかさゆえ自分のその場その場の好みに流されて、下らないものに情熱を注いでしまった10代の時間を取り戻すべく、ゆっくりだけど、愚直に。それでも、幼少期から本物に触れ知識と体験を蓄積してきた人達には、もはや到底敵わない、本当にもったいない人生を過ごしてきたものだと、今ものすごく後悔している。それ故耳をふさいだり、誤解を招いたり、せっかくのチャンスをふいにしたり、取りこぼしもたくさんあったけれど、でも今は、はるかにいろんなものがみえる、きこえる。まだまだ、自分には足りないものがあまりにも多いが、それでも、少しづつ、自分の発想や解釈も加えながら、これまでの蓄積を整理することができる段階に来たと、最近は感じている。そして、それをさらに発展させてゆくために、ここでそれを記録してゆきたい。
その意味で、自分にとっての木組みの家というのは、文化・精神・深淵なるもの、そして永遠なるものの探求の象徴といえる。その過程を記して行くのがこのブログの目的であり、それ故このように名付けた次第だ。とはいうものの、木組みの家の街々もまだ4割ほどしか見ていないし、純粋な精神の探求の旅は永遠に終わらない。たとえ、現代では古典的かつ永遠不変なるものの価値がさげすまされていようとも、これを人間の義務として、この取るに足らぬ一個の生命体が燃え尽きるまで求め続けてゆかなくてはならない。いま、ここから最初の一歩が始まる。
(ゲーテ:間違いは誰でも犯すものだが、常に高みを目指していれば、やがて真理に到達するであろう)
[Goethe-Denkmal in Jena 2006 © DFS All Rights Reserved]
でも正直なところ、あまり小難しいことを考えずに日常を楽しく生きていた方が幸せなんじゃないか、とも思います(笑)こう思うのは、まだまだ知的探求が足りないからなのか、そもそも自分に考える才覚がないからなのか…。
まずは本当の「自分」というのは、そうした過去への敬意、それまでの人類の蓄積を貪欲に吸収した上で完成するものなのだ。そういったものに関心を払わず「自分が、自分が」と吠えている限りは、それは実はまやかしであって、本当の自分ではない。(だから、頭の柔らかいうちに本を読み、いろんなものを見聞きしなくてはならない!こう思うのは、すでに年を取った証拠なのかしら?)
(ゲーテ:喜びをもって行為をし、行為したことに喜ぶものが、幸せをつかみ取るのである)
[Goethe-Denkmal in Jena 2006 © DFS All Rights Reserved]
そんな思いで、この10年間突っ走ってきた。浅はかさゆえ自分のその場その場の好みに流されて、下らないものに情熱を注いでしまった10代の時間を取り戻すべく、ゆっくりだけど、愚直に。それでも、幼少期から本物に触れ知識と体験を蓄積してきた人達には、もはや到底敵わない、本当にもったいない人生を過ごしてきたものだと、今ものすごく後悔している。それ故耳をふさいだり、誤解を招いたり、せっかくのチャンスをふいにしたり、取りこぼしもたくさんあったけれど、でも今は、はるかにいろんなものがみえる、きこえる。まだまだ、自分には足りないものがあまりにも多いが、それでも、少しづつ、自分の発想や解釈も加えながら、これまでの蓄積を整理することができる段階に来たと、最近は感じている。そして、それをさらに発展させてゆくために、ここでそれを記録してゆきたい。
その意味で、自分にとっての木組みの家というのは、文化・精神・深淵なるもの、そして永遠なるものの探求の象徴といえる。その過程を記して行くのがこのブログの目的であり、それ故このように名付けた次第だ。とはいうものの、木組みの家の街々もまだ4割ほどしか見ていないし、純粋な精神の探求の旅は永遠に終わらない。たとえ、現代では古典的かつ永遠不変なるものの価値がさげすまされていようとも、これを人間の義務として、この取るに足らぬ一個の生命体が燃え尽きるまで求め続けてゆかなくてはならない。いま、ここから最初の一歩が始まる。
(ゲーテ:間違いは誰でも犯すものだが、常に高みを目指していれば、やがて真理に到達するであろう)
[Goethe-Denkmal in Jena 2006 © DFS All Rights Reserved]
でも正直なところ、あまり小難しいことを考えずに日常を楽しく生きていた方が幸せなんじゃないか、とも思います(笑)こう思うのは、まだまだ知的探求が足りないからなのか、そもそも自分に考える才覚がないからなのか…。
by fachwerkstrasse
| 2010-09-28 11:02
| なぜ木組み街道?