まだまだ知られざるドイツの歴史探訪の旅。偉大な芸術がうみだされた現場や歴史の舞台となった場所を訪ね歩くことで、紙の上に留まらない活きた文化を醸成してゆく地道な旅の記録です


by fachwerkstrasse

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© 2010-2011 M.UNO

2005年よりドイツ在住
NRW→Thüringen→Hessen
と放浪の旅を経て、現在は
ドイツ・ハイデルベルク大学 
会議通訳修士課程 在籍中

日本独文学会幽霊会員
日本ヘルマン・ヘッセ友の会/
研究会幽霊会員


[翻訳] 

ヘルマン・ヘッセ:インドから
(ヘルマン・ヘッセ全集第7巻)
臨川書店(京都)

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なぜ「木組み街道?」 (8) - mein Standpunkt 自らの立ち位置 -

さて、のっけから話があらぬ方向に展開して意味不明なブログになってしまったが、できることなら、さっさときれいな木組みの家だけ取り上げて、音楽のこととか好き勝手に書いていけたら、その方がはるかに(読む側にとっても書き手も)楽だったろう。だが自分の性格上それは良心が許さないことだし、ここまでまとめあげてきた理念にも反することだ。

それに、単に穴場スポットを紹介するだけだったり、お気楽な旅行記の類や、日常に思いついたことをただ書きなぐってゆくだけのブログだったら、他の人達がもうさんざんやっている。単なる物見遊山で木組みの街並みを見に行ってきたのではないのだ。
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[Rheinische Friedrich-Wilhelms-Universität Bonn 2005 © DFS All Rights Reserved]

それがどういう意味を担っているのかについては、すでに説明した。木組みの家は自らの学び、そして理想の「象徴」なのである。その上でさらに、批判が起こることも承知で、論争的な発言も含め最初にさらけ出しているのは(これからもさらけ出すつもりだが)著名なこちらの音楽評論家の考えによるところが大きい。

連載 許光俊の言いたい放題 第175回「人生と音楽」

「自分はこういう人間」というのを棚上げして、他人の音楽をどうこう言うのが、何とも狡い気がしてならないのである。(...中略)だが、こうしたことにいっさい関わりなく、まるで拾ってきたきれいな石を褒めるような感じで綴られてしまう評論がほとんどなのだ。しかし本来、美について論じるということは、突き詰めるほどに、「それを美しいと感じる自分」を論じることと切り離せないはずである。なぜなら美は物理的特性などではなく、非常に主観的なものなのだから。

要するに、何かを論じるんだったら、その前に自分の価値観および立ち位置を洗いざらいだしておけよ、ということだと思う。音楽について、歴史について、善悪について、美について語ることは、まさに自分をさらけ出す行為に他ならない。単に演奏会に言ってきた感想を並べ立てるだけだったら、これもその手のブログから新聞の批評欄までゴマンとある。今更そんな単なる個人的な日記や木組みの街並み紹介しますよ、では屋上屋を架すようなものだ。

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[Semperoper in Dresden 2008 © DFS All Rights Reserved]

では、自分がわざわざ自らの考えてきたことや体験を文章化して人様にさらす理由は何なのか?考え抜いた揚句行き着いた答えはこうだ。

「様々な変化の波にさらされる現代において、あえて古いものに固執し、そこに現代的意義を見出して「現代」の常識に批判的に対峙してゆくこと」である。
by fachwerkstrasse | 2010-09-24 01:23 | なぜ木組み街道?